anond:20210825140256 中華や和食、タイ料理など東アジア圏の料理は簡単なのよ。これは調味料が旨味を持ってるから。 醤油でも味噌でもジャンでもナンプラーでも良いけど、とりあえず発酵調味料を使えば旨味が足せる。 で、昔は中華が味の素ばかりみたいな揶揄もされたよね。 でも日本人だって、だしの素やらコンソメキューブやら鶏がらスープの素やらを多用してるわけで同じようなもの。 アジアの人がこういう発想になるのは、調味料で旨味を足すってのが普通だからなんよね。 アジア料理は適当に食材に火を入れて、発酵調味料で味整えれば完成。 調味料自体が発酵させるという面倒な工程をやってくれてるので、調理自体は無茶苦茶簡単に美味しく作れる。 次に簡単なのが、イタリアンとインド/中東、南米料理。ここは「トマト」と「ニンニク」「唐辛子」の文化圏。 どれも旨味が強いので、これらを使えばだいたい美味しくなる。
ねえね じんるいというどうぶつのかんさつ @Doragonsyoten 「誰もが文字が書いてあると反射的に読むわけではない」ってのは文字があると全部読む族の人には盲点だったりするんよな。家庭内に対面口語コミュニケーションしかなかった人達ってのはわりと多いんよ。そして親が文字読まないと子供もそれを読む習慣はつかないらしいんよね。
*全文公開の記事は『看板建築 昭和の商店と暮らし』より2019年5月刊行当時のものです。 万定フルーツパーラー ■創業:昭和3(1928)年 ■竣工:昭和3(1928)年 ■設計者:不詳 ■外壁素材:モルタル、タイル ■構造:木造2階建て 歴史はつくれない、積み重なるもの 午後2 時。「万定フルーツパーラー」の店内のラジオからは、ずっと春にまつわる曲が流れていた。 本郷通りに面する一角に佇む「カレーライス ハヤシライスと天然ジュース」と書かれたシャッター。「万定フルーツパーラー」は大正3年に1代目が果物屋を創業、その後当時流行していたフルーツパーラーを隣の建物で始めたのだと、店主の外川(とがわ)喜美恵さんが話してくれた。 「初代である主人の父が有名な果物屋で修業して、ここで独立したんです。当時は東大病院のお見舞いに来る方にメロンなどをお売りして。バナナも病気したときにしか食べられないような
ハテブのロム専を10年くらいやってるんだけど、「ん?」と思うことが割とよくある。 ついさっきは電子書籍の話題で「月に1万~3万使う」というコメントがあって、「いやいや使いすぎだし」と思った。 けど逆に、このコメ主くらいの金銭感覚が普通なんだろうか?とも感じている。 さて。 いきなり自分語りを始めると怒られるかもしれないが、俺の趣味といえば、狭く、浅い。 ゲーム:スプラ2(年額2400円) 登山:月1(月額2000円 主に交通費) 筋トレ:週3(月額0円) 趣味に使うのは、ざっくり月額2200円ほど。 これでも使いすぎだと感じていて、スプラ2を削りたいと思っていた。 が、一時期これを削った時、ストレスで体がおかしくなり、また復活させた。 人間には、逃げる場所(無心になれる時間)も必要だと気が付いた。 ちなみに友達ほぼゼロ。 たばこ、酒、女、ギャンブル、スマホゲーもやらない。 youtubeは
たぶん自分以外は全く気にしていないだろうふとした言葉が、どうしても頭から離れず残っていることはないだろうか。心に残る名言とかそういったものではなく、もう少し生産性のないもので、忘れてもまったく困らないようなことなのに、なぜか忘れられずに頭にこびりついていること。 暇になったので、私の人生の各地点におけるそういった言葉をいくつかピックアップして振り返ってみる。 高校時代:「利休かよ」私の出身高校はお寺に附属している私立高校で、地域のお寺の跡取り息子という生徒が各学年に何名かいるような、ちょっと変わった学校だった。そのため、選択科目の時間は「書道」「茶道」「修行」を入学時に選択することになる。 (この「修行」については実際のところ別の名称があるが、それを検索すると容易に学校名が特定できてしまうため伏せている) そのシステムを全く知らずに入学した私はこの3択の中で最も普通そう…と思い「書道」を選
川上 宗薫(かわかみ そうくん、1924年4月23日 - 1985年10月13日)は、日本の小説家。本名はむねしげと読み、筆名もむねしげと読ませていた時期がある[1]。愛媛県生まれ。 日本基督教団メソジスト派の牧師、川上平三の子として[2]愛媛県東宇和郡宇和町卯之町(現在の西予市)に生まれる。大分県と長崎県で小学校時代を送り、1937年、鎮西学院中等部(現・鎮西学院高等学校)に首席入学[3]。第七高等学校や長崎高等商業学校の入試に失敗し[4]、1943年、西南学院高等学部商科に入学[5]。1944年秋、長崎県大村の陸軍連隊に入隊。しかし肋膜炎を意図的に悪化させ、敗戦までの約1年間を入院患者として過ごす。 1945年8月9日、母と2人の妹を長崎原爆で喪う。このため父は棄教[6]。宗薫は退院の手続きが偶然遅れたために被爆を免れた。 1946年に西南学院専門学校商科を卒業し、九州大学法文学部哲学
宇能 鴻一郎(うの こういちろう、1934年7月25日 - 2024年8月28日[1])は、日本の小説家、官能小説家、推理作家。 北海道札幌市出身。本名鵜野 廣澄(うの ひろずみ)。下の名前を音読みした「ウノコウチョウ」をもじったペンネームであり、同人誌時代には「宇野興長」の筆名も用いていた。嵯峨島 昭(さがしま あきら)名義で推理小説も執筆している。 東京府士族の鵜野二弥と、佐賀県士族の綾(旧姓:徳久)の間に長男として出生。軍事会社の工場の副所長[2] であった父の転勤に従い各地を転々とし、奉天から敗戦で引き揚げた[3]。満州時代、小学校5〜6年のころ、盗みを働いて捕まり、ロシアの司令官の邸宅で全裸のまま給仕をさせられたことがある、という[2]。 1955年福岡県立修猷館高等学校から東京大学文科II類に進学。1959年同学文学部国文学卒、同学大学院に進学。1961年学位論文『原始古代日本
バイトして車買った。軽自動車だけどカスタムされてあるし車屋さんも「これは軽に見えないよ」って言ってくれてうれしかった。 友達同士でオレの車に乗って海に行こうぜってなって表題の件。 6人全員乗れるかって話になって、カスタムされてあるから大丈夫って言ってるのにグループの中でうるさい女が軽自動車は4人しか乗れないから無理っていちゃもんつけてきた。 確かに660馬力だけど内装とかこだわってへたな高級車よりも高級感ある。ぎゅうぎゅうに乗れば6人くらいいける。 車で差別する女まじ害悪。
※本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ています 理系の子どもが「こっくりさん」をする漫画が、大変深い教養にあふれており人気です。子どもたちとこっくりさんによる熱い数学バトル……! こっくりさんに挑む子どもたち2人ですが……? 頭上にはこっくりさんが…… 夜の神社で、こっくりさんをする子どもたち男女2人。どちらも理系を志しており、男子はこっくりさんが存在しないことを証明してやると意気込んでおり、女子はやはり怖いとおびえた様子ですしかしそんな2人の頭上には、禍々しい姿をしたこっくりさんの姿が……。 動いた……! !? こっくりさんの力で10円玉に添えた指が動き、緊張が高まる2人。質問しなければと問いかけます。「こっくりさんこっくりさん、x^4+y^4+z^4=w^4+に自然数解が存在するかどうか証明してください」。自分たちにも答えの分からない難問を問いかけ、正しく答えられたら存在を認
ジャーナリストの江川紹子氏が24日、ツイッターを更新。東京パラリンピック開会式の演出に「障害がある人の無限の可能性を表すのに、片翼の飛行機で喩える、という表現がまったく不適切だと思います」との考えをつぶやいた。 【写真】主人公の小さな飛行機を演じる13歳の和合由依さん 東京パラリンピック開会式では、片翼の少女が、最後は空へ飛び立つというストーリーをさまざまな演出で表現。途中はデコトラに乗った布袋寅泰率いるロックバンドが登場するなど、話題となった。 江川氏は「片翼飛行の賞賛とか、よく分からない…。多様性とかとは違うでしょう」と投稿。続けて「ギターの演奏とかはよかったけど」「飛行機は安全が第一。たとえがよくありません」「障害がある人の無限の可能性を表すのに、片翼の飛行機で喩える、という表現がまったく不適切だと思います」との考えを示した。 そして最後に「飛行機ではなく、乗り物に頼ることのない、ア
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