世の中にはとんでもないヨタや、根も葉もないデマ、都合良く塗り固められた大本営発表など、諸々の実態に即さない言説が満ちあふれているわけです。そしてそれはしばしば何らかの権威――政治家や御用学者、大手メディアの口からも語られ喧伝されるものですが、それがどれほど明白な偽りに満ちていても、往々にして有権者や視聴者はそれを信じ、その偽りは真実として許容されます。その話が信憑性、説得力、確かな裏付けを欠いていたとしても、そこに横たわる誤解や偏見が受け手と共有されている限り、どんないかがわしい話も容易く信用されてしまうわけです。 たとえばそう、外国人犯罪の脅威とかモラルや規範意識の低下とか、実情に合致しない風説が絶えず流布されているわけですが、この風説の受容者である国民の間に誤解や偏見が十分に浸透していれば、いかに実態に即していなくとも信頼されてしまうものです。そしてこの国民と誤解や偏見を共有し、目の前