取材の最前線をねらった凶弾への憤りを胸に、新聞の役割を再確認したい。 兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に散弾銃をもった男が押し入り、記者2人が殺傷された事件から明日で31年になる。 赤報隊を名乗る犯人が起こした8件の事件は、03年3月までに公訴時効が成立している。だがそれは刑事手続き上の話だ。卑劣なテロの記憶を風化させてはならない。 重傷を負った犬飼兵衛さんは1月に73歳で亡くなった。常々「なぜ撃たれたのか、知りたかった」と無念を語っていた。 阪神支局3階の資料室には、犬飼さんと小尻知博記者(当時29)が座っていたソファや遺品が展示してある。見学者がつづったメッセージのひとつに、こんな文章がある。 「言論の自由が猛烈な勢いで脅かされている現在、市民の一人ひとりが『みる・きく・はなす』を実践していくことが必要だと思う」(50代女性) この国の状況に危機感を覚えての感想だろう。 事件直後、多くの