私が宮武外骨(みやたけ・がいこつ)の名を知ったのは、香川県に住むようになって間もない頃だった。「讃岐の三畸人(きじん=奇人)」として空海(弘法大師)、平賀源内と並び称されるのが、明治から昭和にかけて活躍したジャーナリストの宮武外骨なのである。ちなみに私は数年前に香川を離れたが、不精なもので、当時からブログのタイトルバックに使っていた讃岐富士(飯野山)の画像を今もそのまま使い続けている。 「宮武」は香川県に目立って多い姓だが、外骨は幼名を亀四郎(かめじろう)と言った。17歳の時に戸籍上の本名を「外骨」 に改める。亀四郎の亀が 「外骨内肉」の動物であることにちなんだものだが、ペンネームではなく本名の改名である。外骨は自ら「予の先祖は備中(岡山県西部。倉敷など)の穢多(えた)であるそうな」と書いた。これは事実ではなかったそうだが、外骨は部落差別に反対する運動も行っていた。蛇足ながら、私も讃岐に住