論文と社会に関するconchucameのブックマーク (40)

  • ジェンダー論争等、資料 | イメージ&ジェンダー研究会

    ◆シンポジウム関連資料 *2021年7月18日に開催された「今、ジェンダー論争をふりかえる」のシンポジウムをきっかけに、ジェンダー論争で交わされた一次資料の文章を、著作者や関係者の許可を得て掲載します。快く応じてくださった関係者のみなさまに感謝申し上げます。今後も他の資料の掲載許可が取れ次第、随時追加して公開していく予定です。 *無断転載は固くお断りします。お問い合わせは、I&G事務局まで。 佐藤紀鈴「「ジェンダー論争」のおおまかな流れ」三田晴夫「状況考(3)借り物の思想・知・主題をめぐって」『LR 美術批評/展覧会批評誌〈エル・アール〉』3号、1997年8月、pp.22-23光田由里「平日の昼間の公園ー『女性の肖像ー日現代美術の顔』展の反省ー」、『構造』第12号、1997年10月、pp.26-36稲賀繁美「『今、日美術史学をふりかえる』を聞いて」、月刊『あいだEXTRA』25号、19

  • なぜ博士号をとったのに大学教員にならないのか - いつか博士になる人へ

    春が来て、僕の少ないポスドク(博士研究員)仲間たちがまた何人か大学を去っていった。 一流大学で博士号を取り、一流論文誌に研究を発表した彼らが、それでも大学教員になることをやめた理由はさまざまだ。 お金だったり、子どもだったり、別にやりたいことが見つかったり。 だけどそれぞれの理由の根っこにあるものは、たぶんみんな同じだと僕は思っている。 博士課程を終えた後にいろいろな問題が降りかかってくることなんて、僕たちは博士課程に入る時に十分わかっていた。 給料が低いことも、結婚して子どもを持つことが難しいことも知ってた。 それでも大学教員になりたいと思ってハカセになった。 大学で好きな研究をやること以外に、やりたいことなんて考えられなかった。 それなのに、どうして今さら大学教員になることをあきらめるのか。 お金がない生活に嫌気がさしたから? 運命の人に出会ってしまったから? 自分の天職は他の仕事だっ

    なぜ博士号をとったのに大学教員にならないのか - いつか博士になる人へ
  • 36歳の編集者が、市川に「小さな出版社」を立ち上げたワケ(現代ビジネス編集部) @gendai_biz

    永井荷風や井上ひさしらが居を構えた「文学の街」千葉県市川市。その閑静な住宅街の一角に「志学社」はある。星海社にて『江戸しぐさの正体』や『マージナル・オペレーション』シリーズなどのヒット作を手掛けたフリー編集者の平林緑萌(ひらばやし・もえぎ)氏が、昨年10月に新たに立ち上げた出版社だ。出版不況が叫ばれて久しいなか、平林氏が市川に「小さな出版社」を作ったのはなぜか。その理由を尋ねた。 名著の復刊を目指して 太田出版では『QuickJapan』、星海社では主に書籍、とこれまで10年近く出版物の編集に携わってきました。を作るノウハウは身に着けたし、ヒット作も手掛けてきた自負はありますが、30代も半ばに差し掛かったときに、この先10年、20年残るような書籍や、新たな出版の仕組みを作りたいと思うようになりました。出版不況の只中で、このままを作っているだけでは、いずれは出版社という船ごと沈没してしま

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  • なぜいま「ロボット倫理学」が必要か〜問題はすでに起きている(岡本 慎平) @gendai_biz

    「ロボット倫理学」とは何か? 21世紀に入ってすでに16年が過ぎた。我々は、かつて小説漫画映画で描かれた輝かしい(あるいは恐ろしい)近未来、あの21世紀を生きている。 もちろん「SF物語に描かれた21世紀」と「現実の21世紀」の間にある隔たりは大きい。我々は鉄腕アトムが空を飛ぶ風景を見ることはないし、自我に目覚めたスカイネットの人間狩りに怯えることもない。 ただし、「現実」の21世紀でも、かつてのSFと同様に(あるいはそれ以上に)重要な問題が生じている。その一つが「ロボット倫理学」と呼ばれる新興学問領域だ。 これは、「ロボットが備えるべき倫理」を考える学問であり、その反対に「ロボットを扱う際に必要な倫理」を探求する学問でもある。 とはいえロボット倫理学は、「人工知能当に倫理を理解することは出来るのか?」とか「人間と区別のつかないロボットが作られたら彼らに人権を認めるべきなのか?」と

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  • II-18 翻訳出版の危機 - 出版文化再生

    明るい話題に事欠く昨今の出版界にまたひとつあまり感心しない問題を提示しなければならないことになった。今後の出版文化において――すくなくとも日の翻訳出版文化のありかたにおいて――大きな変化というか停滞が余儀なくされる可能性が出てきたということである。 というのは、ここ最近のことだが、人文系専門書の翻訳出版において、原書にはない訳者解説、訳者あとがきなどの収録にたいして原出版社側ないし原著作権者側から(あらかじめ版権契約の段階で)厳しい制約が課されるようになってきたことであり、そうした文書を付加する場合には事前にその内容、分量、そうした文書を付加する理由書を原出版社に提示し、著作権者の許諾を得なければならず、しかも通常はよほどのことがなければ、承諾を得られないだろうというのである。かれらからすれば、日語で書かれたその種の文書はそもそも判読が困難であり、場合によっては原書の内容を損なうものに

  • K. Walton「芸術のカテゴリー」|morinorihide

    ケンダル・ウォルトン「芸術のカテゴリー」(Kendall L. Walton, "Categories of Art," 1970)を全訳したので売ります。 以下から閲覧・ダウンロードできます。PDFで390円です。 芸術知覚の経験を分析することで、芸術批評を支える〈作品それ自体とは別の要素〉の重要性を主張した古典的論文です。「芸術観賞は作品それ自体のみに注意を向けなければならない」とする立場を強く批判し、「意図に関する誤謬(Intentional Fallacy)は誤謬ではない!」と説得的に論じたこの論文は、美学における批評理論の流れを形式主義から文脈主義へと変える大きなきっかけとなりました。 論文は美学に関するさまざまなリーダー・アンソロジーに収録されており、現代では必読の論文といえます。英語圏美学史の論文のなかでも被引用回数はトップクラスに入りますし、入門書では必ず言及される一

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  • 「モンローはOK、ヘップバーンはNG」 企業サイトで画像を使うとき注意すべき著作権と肖像権のお話

    企業のウェブサイトやオウンドメディアで画像を使用するとき、著作権や肖像権がクリアかどうかが気になりますよね。ゲッティ イメージズ ジャパン株式会社に聞きました。

    「モンローはOK、ヘップバーンはNG」 企業サイトで画像を使うとき注意すべき著作権と肖像権のお話
  • L型大学のモデル:ドイツの専門大学の話 - 発声練習

    実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議(第1回)の配布資料冨山和彦:我が国の産業構造と労働市場のパラダイムシフトから見る高等教育機関の今後の方向性(PDF)について、多くの人(特に大学関係者)がネット上で批判のを受けて、hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳):L型大学のモデルにて、ドイツの専門大学についての紀要論文が紹介されている。大変面白いし、勉強になる。 すべてCiNii経由でダウンロードできる。著者は岐阜聖徳学園大学短期大学部・生活学科・教授の寺澤幸恭氏 ドイツにおける「実務型」高等教育に関する考察(1) -専門大学の実習セメスタ- (インターンシップ) ドイツにおける「実務型」高等教育に関する考察(2)ー専門大学の教員・スタッフー ドイツにおける「実務型」高等教育に関する考察(3) -ベルリン工科専門大学の成立- ドイツにおける「実務型」高等教育

    L型大学のモデル:ドイツの専門大学の話 - 発声練習
  • Daily Life:『神は妄想である』書評(昔書いたもの)

    May 15, 2014 『神は妄想である』書評(昔書いたもの) (リクエストがあったので、かつて『日経サイエンス』に掲載したドーキンス『神は妄想である』書評の長いバージョンを以下に再掲します。途中[  ] でくくってあるところは字数制限のため掲載バージョンではカットした部分です。初出:『日経サイエンス』2007年9月号、110ページ) 神は妄想である―宗教との決別 [単行]リチャード・ドーキンス早川書房2007-05-25 神について聞かれた科学者の多くは「神がいるかどうかは科学の扱う領域ではない」と答えるだろう。実際、宗教との軋轢をさけるにはうまい答え方だ。しかし当に神は科学で扱えない問題なのだろうか。 書でリチャード・ドーキンスはあえて一歩を踏み出し、科学的な仮説としての「神仮説」を検討する。この宇宙の事実についての主張である以上、神仮説からも 予測できることがいろいろある。そ

    Daily Life:『神は妄想である』書評(昔書いたもの)
  • ヘイトスピーチ規制論争の構図――規制の「効果」と「範囲」をめぐって/明戸隆浩 - SYNODOS

    ヘイトスピーチやレイシズムは、多くの欧米諸国において何らかの形で規制されている。日には、そうした規制はない。 このように書くと、いかにも海外での動向を論拠に日でもそうした規制を! という議論が始まるように思われるかもしれない。実際、この論考にそうした意図がまったくないわけではない。 しかしここでまず伝えたいことは、欧米諸国におけるそうした規制の位置づけが、いかに「論争的」なものであるかということについてである。実際そうした規制は、成立にあたって激しい論争を経験しているものが多い。論争の中で成立に至らず消えていった法案も少なくないし、また規制が成立してからも、その適用や改正をめぐって常に議論が繰り返されている。ヘイトスピーチやレイシズムにかかわる規制が何の議論も呼ぶことなく成立したなどという事例は、ほぼありえないと言っていい。 この論考ではこうしたことをふまえて、欧米諸国においてヘイトス

    ヘイトスピーチ規制論争の構図――規制の「効果」と「範囲」をめぐって/明戸隆浩 - SYNODOS
  • 非認知主義とフレーゲ・ギーチ問題の三十一年 Shroeder [2010] - えめばら園

    Noncognitivism in Ethics (New Problems of Philosophy) 作者: Mark Schroeder出版社/メーカー: Routledge発売日: 2010/03/09メディア: ペーパーバック クリック: 6回この商品を含むブログ (11件) を見る Schroeder, M (2010) Noncognitivism in Ethics (Routledge) 【目次】 3 The Frege-Geach Problem, 1939-70 ←いまここ 4 Expressivism 5 Moral Thought 6 The Frege-Geach Ploblem, 1973-1988 7 The Frege-Geach Problem, 1988-2006 8 Truth and Objectivity 9 Epistemology: Wis

    非認知主義とフレーゲ・ギーチ問題の三十一年 Shroeder [2010] - えめばら園
  • なぜ悲しい音楽を聴くとロマンチックな感情になるのか - 理研が一端を解明

    理化学研究所(理研)と東京藝術大学は5月24日、悲しい音楽は悲しみだけでなくロマンチックな感情も聴き手にもたらし、また、その作用が音楽経験の有無に関係なく引き起こされることを実証したと発表した。 同成果は、理研脳科学総合研究センター 情動情報連携研究チームの岡ノ谷一夫チームリーダー、川上愛ジュニアリサーチアソシエイト(現 客員研究員、JST ERATO岡ノ谷情動情報プロジェクト研究員)、東京藝術大学 美術学部の古川聖教授らによるもので、スイスの科学雑誌「Frontiers in Psychology」オンライン版に掲載された。 悲しい音楽や悲劇は、鑑賞者に悲しみをもたらすと考えられているが、従来の感情研究における「悲しみは不快である」という前提に立つと、聴き手が自ら進んで悲しい音楽を聴いたり、悲劇を鑑賞したりする行動は矛盾したものとしてとらえられ、芸術を生み出した人類にとって長い間の疑問と

    なぜ悲しい音楽を聴くとロマンチックな感情になるのか - 理研が一端を解明
  • 悲しい音楽はロマンチックな感情ももたらす | 理化学研究所

    ポイント 音楽家でなくとも、誰でも悲しい音楽を聴くとき快の感情も体験することを示す 芸術場面で体験する悲しみは、日常場面で体験する悲しみと異なる 芸術鑑賞場面での悲しみを理解するために、「代理感情」の概念を新しく提案 要旨 理化学研究所(理研、野依良治理事長)と東京藝術大学(宮田亮平学長)は、悲しい音楽は悲しみだけでなくロマンチックな感情をも聴き手にもたらし、また、その作用が音楽経験の有無に関係なく引き起こされることを実証しました。この成果は、「聴いた音楽を悲しい音楽と判断すること」と「音楽を聴いて実際に悲しみを体験すること」が別であることを示しており、なぜ私たちが悲しい音楽をあえて聴くのか、について考える重要な手がかりとなります。これは、理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)情動情報連携研究チームの岡ノ谷一夫チームリーダー、川上愛ジュニアリサーチアソシエイト(現客員研究員、JS

  •  「科学を語るとはどういうことか」 - shorebird 進化心理学中心の書評など

    科学を語るとはどういうことか ---科学者、哲学者にモノ申す (河出ブックス) 作者: 須藤靖,伊勢田哲治出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2013/06/11メディア: 単行(ソフトカバー)この商品を含むブログ (20件) を見る 書は物理学者須藤靖と科学哲学者伊勢田哲治による科学哲学を巡る対談集である.実際には対談時のやりとりをベースにして,双方が調整しつつ加筆修正を加えており,メリハリの利いたきびきびとした対談に仕上がっている.帯を含めた装丁も大胆で,思わず手に取りたくなるうまい作りだ. 対談にいたる経緯は須藤の「はじめに」と伊勢田の「終わりに」にそれぞれ書かれている.須藤は因果を巡る「あまりにも的外れ」な議論が科学哲学においてなされていることを知り,その後に知り得たことも含めた科学哲学についての批判的な講義を駒場において行う.その講義案を伊勢田がネットを経由して閲覧し,

     「科学を語るとはどういうことか」 - shorebird 進化心理学中心の書評など
  • 児童ポルノ禁止法・改正案への反対声明 - 日本マンガ学会

    児童ポルノ禁止法・改正案への反対声明 2013年5月31日 日マンガ学会理事会 日マンガ学会は、西暦2001年に設立され、会員として国内外の研究者約500人を集めており、日学術会議の協力学術研究団体に指定されている団体である。 5月28日、今国会に「児童ポルノ禁止法」改正案が提出された。私たちは、この法律の来の目的である、「児童に対する性的搾取及び性的虐待」から児童を保護することの重要性については論を俟たないと考えている。 しかし、今回提出された改正案では、「実在の児童を保護する」という来の目的を大きく逸脱し、むしろ「表現規制」を推し進めたり、冤罪の危険を広げたりする可能性が高い内容となっており、以下の点について、強い疑義を呈するものである。 1.来、「実在の児童を保護する」ことを目的に作られた法律の中に、「漫画・アニメ等の創作物規制」を盛り込もうとしていること。 改正案の附

    児童ポルノ禁止法・改正案への反対声明 - 日本マンガ学会
  • 分析美学入門 ロバート・ステッカー著 森 功次訳

    英語圏哲学界の泰斗が現代の美学をわかりやすく紹介。雄大な自然、悲しい交響曲、社会を変えた暴露小説、不道徳なバイオレンス映画、美しくないコンセプチュアルアート、住みにくい前衛建築など、多岐にわたる実例を用いながら、13章にわたって最新の論争をあざやかに解説する。丁寧な文献紹介と用語解説、確認問題集を付した、最先端の入門書。 正誤表(PDF) ※外部サイトへ移動します まえがき Chapter 1 はじめに 第I部:美学 Chapter 2 環境美学――自然の美 Chapter 3 〈美的なもの〉について1――美的経験 Chapter 4 〈美的なもの〉について2――美的性質 第II部:芸術哲学 Chapter 5 芸術とは何か Chapter 6 芸術作品は、いかなる種類の対象なのか Chapter 7 解釈とそこに関わる意図の問題 Chapter 8 再現1――フィクション Chapter

    分析美学入門 ロバート・ステッカー著 森 功次訳
  • 金沢21世紀美術館

    虚影蜃光 ー Shell of Phantom Light 金沢21世紀美術館 / 2023年 邱志杰(チウ・ジージエ) 書くことに生きる 金沢21世紀美術館 / 978-4-903205-86-1 / 2023年 Я[アール] : 金沢21世紀美術館研究紀要 ; 第10号 : 美術館とサスティナビリティ 金沢21世紀美術館 / 978-4-910864-08-2 / 2023年 アペルト17 SCAN THE WORLD [NEW GAME] 金沢21世紀美術館 / 2023年 自治区 金石大野芸術計画 記録(PDF:12.4MB) 金沢21世紀美術館 / 978-4-910864-07-5 / 2023年 ミュージアム・クルーズ 記録集2022PDF:3.0MB) 金沢21世紀美術館 / 978-4-910864-06-8 / 2023年 2021年度 金沢21世紀美術館年報 金沢2

    金沢21世紀美術館
  • 【ネット著作権】そろそろ本気で「孤児作品」問題を考えよう 

  • artandsociety of flying cabinet

    どんなテーマであれ、最善の説を一つだけ紹介するということができれば、読者にも筆者にも便利でよいのだが、「芸術と社会」についてはそうもいかない。というのも、「芸術」や「社会」という言葉の意味がそもそも曖昧で、人によってまるで違った話をしているからだ。たとえばある人にとって「芸術」の概念は広く大衆芸術を含み、別の人にとっては高尚純粋なものだけを指す。またある人には「芸術」が「社会」の一部なのは自明であり、別の人には「芸術」とは「社会」から自立したものである。しかし語義の詮索などから始めていては埒があかない。そこでここでは「芸術と社会」の関係についてめぼしい考え方のいくつかをとりあげ、それらの簡単な解説を試みるということにしたい。 「芸術と社会」の関係の取扱い方は、芸術を社会の中の一項として位置づけようとするものと、芸術の中に社会的な因子を見出そうとするものに大別できる。前者は芸術が社会に対し

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