Janet Kraynak, “Rirkrit Tiravanija’s Liability,” Anna Dezeuse ed., The ‘Do-it-Yourself’ Artwork: Participation from Fluxus to New Media, Manchester University Press, 2010. pp.165-184 「経済:ハンス・アッコーラとリクリット・ティラバーニャ」展のため、ウォーカー・アート・センターは、前もって制作された作品の貸し付けに保険をつけるかわりに、ティラヴァーニャにミネアポリスへの旅と現地での作品制作の手はずを整えた。^21 ティラヴァーニャは、現地の文化と地理に関する調査を行うため、また実際のインスタレーションが完成する前に、最後の旅に先駆けて美術館とのプロジェクトについて交渉するため、何度かミネアポリスに訪れた。調査の
哲学の初学者にありがちな間違いのひとつをこの間思いついたので記しておく。哲学の場合、初学者ほど他の哲学者が素朴に見えるという現象がある気がしている。 例えば、プロの哲学者が何らかの原理Xみたいな前提を使うとしよう。 しかし初学者にはなんでこのXを認めないといけないのかがよくわからないので、Xを認めることが素朴に見える。非合理的な信仰やドグマのようなものにすら見えるかもしれない。 もちろん筋から言えば、Xを前提する側がXを使う理由を説明した方がいいかもしれない。しかしひとつの論文のなかで、すべての前提を説明することなどできないので、ごく標準的常識的な事柄であれば、特に議論なく前提するだろう。 もちろん本当にドグマであるケースもあるだろうが、ここで考えているのは、Xを擁護する議論が別のところでなされていたり、合理的な理由があっても、初学者はそういう事情を知らないので素朴に見えるというケースだ。
Smail, D. L. (2014). Neurohistory in Action: Hoarding and the Human Past. Isis, 105(1), 110–122. この論文に対するコメンタリーのレジュメ Fuller, S. (2014). Neuroscience, Neurohistory, and the History of Science: A Tale of Two Brain Images. Isis, 105(1), 100–109. 紙とペン Stadler, M. (2014). Neurohistory Is Bunk?: The Not-So-Deep History of the Postclassical Mind. Isis, 105(1), 133–144. ポスト古典的な心(えめばら園) 総評 歴史学のニューロ・ターン スメイ
May 15, 2014 『神は妄想である』書評(昔書いたもの) (リクエストがあったので、かつて『日経サイエンス』に掲載したドーキンス『神は妄想である』書評の長いバージョンを以下に再掲します。途中[ ] でくくってあるところは字数制限のため掲載バージョンではカットした部分です。初出:『日経サイエンス』2007年9月号、110ページ) 神は妄想である―宗教との決別 [単行本]リチャード・ドーキンス早川書房2007-05-25 神について聞かれた科学者の多くは「神がいるかどうかは科学の扱う領域ではない」と答えるだろう。実際、宗教との軋轢をさけるにはうまい答え方だ。しかし本当に神は科学で扱えない問題なのだろうか。 本書でリチャード・ドーキンスはあえて一歩を踏み出し、科学的な仮説としての「神仮説」を検討する。この宇宙の事実についての主張である以上、神仮説からも 予測できることがいろいろある。そ
当初私は、この本(ちくま新書)を詳しく検討して、細部にわたる批評を書こうと思っていた。そのためメモをつけながら読み進めたものである。しかし、読み進むうちに、そのような内在的検討に値する価値が、この本にはまったくないことが明らかになったので、ここで記すことは、大雑把で外在的な批判にならざるを得ない。もっとも、そのような外在的批判の対象として見るならば、なかなかに興味深い症候的(症例的)な所がないわけではない。これも、この時代の批判的精神や自由精神の衰退を示すものではあるのだろう。しかも、大威張りのわがもの顔で恥ずかしげもなくステテコ姿をさらしている! 「ありそでなさそでやっぱりあるもの」を物理的世界観の中に埋め込むという一貫した意図を本書は持っている、と言われる。ここで「ありそでなさそでやっぱりあるもの」と言うのは、ヒッグス粒子とかダークマターのことではない。これらの存在についてなら、物理学
■3,4年生向け A. 一般的文献:哲学一般への入門 最初の3冊は、西洋哲学の基本中の基本文献であり、多くの人は既に読んだことがあるとは思うが、念には念を入れるためにあげた。科学哲学、科学論、といった範囲に限らず、哲学一般の基礎となる文献。 残りの3冊は、日本人の書いた哲学書で、お勧めのもの。 プラトン『パイドン』(『世界の名著』6「プラトンⅠ」中央公論社、新潮文庫) 西洋哲学の源流、プラトン哲学の白眉。心身問題の古典中の古典。 デカルト『省察』(『世界の名著』22「デカルト」中央公論社) 近代哲学の源流。方法的懐疑、心身二元論と心身の融合など、認識論と存在論の根本問題。 カント『学問として現れるであろうすべての将来の形而上学への・・プロレゴメナ』 『純粋理性批判』を通読できればそれにこしたことはないが、なかなか難しいので、読みやすい本書だけでも読んでおいてほしい。近代認識論、学問論の基本
私の学振PD応募計画書をアップします。 ご自由にお使いください。 2012年度は補欠枠まで行って落ちて、2013年度は採用されました。その意味で、私は当落の微妙な差がわかりやすい事例かもしれません。 いずれの年度も「人文学」の「外国語教育」枠で応募しました。 どうしてこんなことをしているかと言えば、ネット上に公開することで、「コネ」がない人の参入障壁を下げたいと思っているからです。自分はM2/D1の時代、学振応募経験者とコネがなく*1、色々損をしました。たしかに私は「学振最強」の東大大学院に通っていましたが、東大と言っても、分野によりけりです。外国語教育系に関して言えば、東大は優秀な若者をスポイルする場所あまり研究志向が強くない場所として私の半径5メートル以内では有名です。そんなわけで、いろいろ悔しい思いをしました。 個人的には、応募者のソーシャル・ネットワーク(所属研究室の「空気」も含ま
新潟大学大学院現代社会文化研究科共同研究プロジェクト 「世界の視点をめぐる思想史的研究」機関誌 新潟大学人文学部哲学・人間学研究会 (A5判 ISSN 1880-9995) 『世界の視点──変革期の思想』(『知のトポス』第0号、2004年2月刊、全219頁) アヴィセンナ「論理学」山内志朗訳 イマヌエル・カント「哲学的エンチュクロペディー講義」城戸淳訳 C・L・ラインホルト「否定的な独断論もしくは形而上学的な懐疑論のより詳細な叙述」片桐朋乃・栗原隆訳 C・L・ラインホルト「意志の概念の自由についての説明」栗原隆・片桐朋乃訳 G・E・シュルツェ「人間的認識についての懐疑論の思考様式の主要契機」栗原隆訳 ──────────────────── ■『知のトポス──世界の視点』第1号(2006年3月刊、全222頁)【品切】 ヨハネス・デ・ツェラヤ「論理学入門」山内志朗訳 ⇒[PDF] イマヌエル
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