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2014年7月13日のブックマーク (6件)

  • 歴史学徒という言葉 - 保立道久の研究雑記

    いま新幹線の中。一昨日から奈良だったので、できれば今日は生駒へ登ろうと思っていたが、雨がふってきて、疲労もあって、直帰である。 昨日土曜は、奈良女子大学で集中講義。午前10時から、午後4時30分までというのはさすがに疲れる。最後は呆然としてきた。前夜、小路田氏と飲み過ぎた。 題目は神話論。こういう題目で授業をすることになろうとは三,一一以前は考えたことがなかった。最初の二回分はパワーポイントで話した。そこまではよかったのだが、最後は少し詰め込みすぎたレジュメにそって話したので、口と感情に頭がついていかない。書かないままの筋書きをため込んでいるとエンジンがオーバーヒートしてしまう。はやく書いてしまわなければならない。 「人類史1」という授業で自然系から人文系へ話がきりかわる最初を担当させられたようで、学生が熱心にきいてくれたのがありがたかった。学生が当に若く感じられたのはショック。講義の終

    歴史学徒という言葉 - 保立道久の研究雑記
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  • 伝山本覚馬所用としていた長巻について(おわびと訂正)|2014年度のニュース一覧(新着ニュース)|同志社大学 同志社社史資料センター

    昨年のNHK大河ドラマ「八重の桜」に関連する一連の催し物で、当センター所蔵の日刀一振を「伝山覚馬所用長巻」として貸出し、また学およびその他の図録にもそのように記載させていただきましたが、当センターであらためて調査をいたしました結果、山覚馬とは関連のない日刀であることが判明いたしました。すなわち、当該日刀は、新島襄在世中の1889年5月、大学設立運動の最中に北海道の原田正之助という人物が金銭寄附の代わりに物品寄付として、原田家で大事にされてきた大小の刀を同志社に寄附したもののうちの大刀にあたることがわかりました。山覚馬と絡めてこの刀を紹介したことは史実に反することであると判明いたしました。 当センターの所蔵品でありながら、充分な資料調査を経ずにこのような誤りを犯した責任は重大であると認識しており、誠に申し訳なく、ここに深くおわび申し上げる次第です。

  • 同姓不婚と『うつほ物語』

    このBlogは、私が物語研究の途上で出会った様々な発見や、物語をともに学ぶ人々との出逢いを綴ったものです。ごらんのみなさんにも物語文学の深遠なる森の如き世界の一端をお知りいただければ幸いです。 先日、東アジアの思想、韓国民族文化が御専門の両先生と話していて、韓国の同姓不婚の話になりました。法的には自由ですが、因襲の壁はまだまだ厚いようです。ただし、旧三国(新羅・百済・高句麗)エリアを超えれば、同姓であっても一族とは見なさないとの説もあるとのこと。世界で一番多い姓は、韓半島と中国ともに存在する李氏のようですが、李さん同士もこの例に該当すれば問題ないようです。 このことは、『うつほ物語』「内侍のかみ」巻に、朱雀帝が、女一宮の婿選びに際して話した懸念を、源正頼がの大宮に代弁する夫婦の会話に登場します。 (正頼)「さまこそ(十の君・今こそ)こそはしか思ひはべれど、仰せらるることありや。(朱雀帝)

  • 道真と業平、新しいバディがうまれたよ | ROOMIE(ルーミー)

    平安ミステリーを解決するバディは道真×業平 「うた恋い」のヒットで、絢爛たる平安時代の恋愛模様はずいぶん知られるところになりました。作者のこだわりと愛により、平安の風俗もしっかり書かれているところがすばらしいコミックです。 今回紹介するコミック「応天の門」は同じ平安の世を題に、クライムミステリーを描いた一冊です。平安の世にも犯罪はあり、検非違使は当時の警察に当たる任を京都で担っています。在原業平は、平安時代の恋歌の旗手として有名であると同時に検非違使でもあり、犯罪の解決に挑みます。 妖怪やたたりも信じられている時代ですから、単なる犯罪も迷信と結びつくこともあります。非合理的な様相を帯びることもあります。 そこに豊富な知識と理性で、科学的な光を当てるのが菅原道真です。 菅原道真と在原業平は同時代人だった! このコミックでもっともおもしろいところは博識の学者として知られる菅原道真が10代のまだ

  • 鹿田遺跡 烏帽子かぶった人骨出土 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    ◇岡大調査…鎌倉期の墓 藤原家家臣か 岡山大は11日、弥生中期から江戸前期までの集落などが集積した岡山市北区の「鹿田(しかた)遺跡」で、鎌倉時代の墓から、男性のかぶりもの「烏帽子(えぼし)」をかぶった状態の人骨が見つかったと発表した。烏帽子はほぼ完全な状態で、同大学によると、烏帽子のみが出土した例はあるが、かぶった状態で出土したのは初めてという。 発掘調査にあたった同大学埋蔵文化財調査研究センターの岩崎志保助教によると、立烏帽子と呼ばれるものとみられ、高さ約25センチ、最も広い幅で29センチ。黒漆塗りで、木棺に納められていたとみられる人骨の頭上で見つかった。 同遺跡は平安~室町時代、藤原摂関家の荘園「鹿田荘(しかたのしょう)」があった地で、人骨の出土した場所は京都から派遣された荘園管理者の屋敷跡とみられている。墓周辺からは副葬品の中国製青磁器2点、白磁器1点が出土。岩崎助教は「埋葬者は比較