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2019年9月10日のブックマーク (5件)

  • 平安京の葬送地「鳥辺野」墓跡か、複数出土…徒然草や源氏物語にも登場 : エンタメ・文化 : ニュース : 読売新聞オンライン

    平安時代後期の墓跡がまとまって出土した調査地。手前は最大の方形区画墓の遺構(京都市東山区で)=文化財サービス提供 平安京の葬送地「鳥辺野(とりべの)」があったとされる京都市東山区の一角で、ほぼ出土例のない平安時代後期の墓跡が複数出土したと、民間発掘調査会社「文化財サービス」が9日発表した。専門家は「墓を計画的に整備していたことがわかる重要な発見」としている。 鳥辺野は平安京周辺にあった墓地の一つ。徒然草や源氏物語に登場し、藤原道長が荼毘(だび)に付されたという。同社は昨年12月~今年8月、約800平方メートルを調査。周囲を溝で区切った方形区画墓3基、木棺墓3基、供養塔「笠塔婆(かさとうば)」の断片など11世紀半ば~12世紀半ば頃の墓跡が出土した。 西側に方形区画墓2基が南北に並び、東側に木棺墓3基が直線上にあった。方形区画墓の一つは9・2メートル四方あり、平安貴族の墓の可能性があるという。

    平安京の葬送地「鳥辺野」墓跡か、複数出土…徒然草や源氏物語にも登場 : エンタメ・文化 : ニュース : 読売新聞オンライン
  • 海外文学の「コケモモ」が実際はコケモモではなかったことにショックを受ける人たち

    赤坂パトリシア Patricia Akasaka(she/her) @akasakapatricia 「日であまり知られていない木が出てきたらトネリコって訳しておけばいいってえらいひとが言ってましたー!」って友人に教えてもらったのだけれど、最近気づいたのが「コケモモ」問題ですよ、おくさま! 2019-09-04 18:01:26 赤坂パトリシア Patricia Akasaka(she/her) @akasakapatricia Storyteller writing in English and Japanese. Constantly worried. 連絡先:akasakapatriciaあっとgmail.アイコンはめばちさん(@mebachi)ヘッダーはorieさん(@orie_h)から。刊行作品については出版社にお問い合わせを。 kakuyomu.jp/users/patric

    海外文学の「コケモモ」が実際はコケモモではなかったことにショックを受ける人たち
  • 奈良に「土葬の村」発見! なぜ、今も、村人は土葬を選ぶのか?(高橋 繁行)

    の伝統的な葬式である「土葬・野辺送り」が姿を消したのは、昭和の終わり頃とされている。入れ替わるように火葬が増え、現在、日の火葬普及率は99・9%以上に達する。 土葬は、日の風土から完全に消滅してしまったのだろうか。筆者は「土葬・野辺送り」の聞き書き調査を20年以上独自に続け、平成、令和になっても、ある地域に土葬が集中して残っていることを突き止めた。それは大和朝廷のあった奈良盆地の東側、茶畑が美しい山間にある。剣豪、柳生十兵衛ゆかりの柳生の里を含む、複数の集落にまたがるエリアだ。 日人の精神生活を豊かにしてきた千年の弔い文化を、まだ奇跡的に残る土葬の村の「古老の証言」を手がかりに、明らかにしたい。

    奈良に「土葬の村」発見! なぜ、今も、村人は土葬を選ぶのか?(高橋 繁行)
  • 曹操墓出土の鏡、大分の鏡と「酷似」 中国の研究者発表:朝日新聞デジタル

    中国の三国志時代の英雄で、魏の礎を築いた曹操(155~220)。その墓から出土した鏡が、大分県日田市の古墳から戦前に出土したとされる重要文化財の鏡と「酷似」していることがわかった。 中国の河南省安陽市にある曹操の墓「曹操高陵」を発掘した河南省文物考古研究院の潘偉斌研究員が、東京国立博物館で開催中の「三国志」展(16日まで)に関連した学術交流団座談会で明らかにした。 2008年から行われた発掘で見つかったが鉄製でさびがひどく、文様などはよくわかっていなかった。同研究院でX線を使って調査したところ、表面に金で文様が象嵌(ぞうがん)され、貴石などもちりばめられていることがわかった。潘研究員は「日の日田市で見つかったという鏡『金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)』とほぼ同型式である可能性が高い」と話す。 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は、1933(昭和8)年に鉄道の線路工事の際に見

    曹操墓出土の鏡、大分の鏡と「酷似」 中国の研究者発表:朝日新聞デジタル
  • 昭和12年の東急沿線案内 - まほろば

    このようなものを入手しました。 名称は「沿線案内 東横.目蒲.玉川電車」ということになりましょうか。 当時はまだ東急電鉄という名称はなかったかもしれません。 東横線はそのままですが、目蒲線は目黒線と名を変え、玉川電車(玉電)は新玉川線から田園都市線となりました。 小中高校の時代は玉電のお世話になり、大学以降は目蒲線のお世話になり、今は大井町線と目黒線のお世話になっている私ですので、つい手が出てしまいました。ローカルな路線です。 裏です。 字が小さいですが、沿線の名所案内、四季の見どころ、運賃表などが並んでいます。 渋谷駅付近。 東横百貨店がど~んと描かれています。 近隣の青山学院、國學院、赤十字病院よりもずっと巨大に。(^_^) さらに、「東横百貨店」の文字が赤字で、赤枠で囲われています。盛大にアピールしています。 東横のマーク、懐かしいです。 渋谷駅から斜め左上に延びているのは玉電です。

    昭和12年の東急沿線案内 - まほろば