【読売新聞】 福岡、大分両県にまたがる 英彦 ( ひこ ) 山(1199メートル)で、県境を巡り両県の主張が対立しているのをご存じだろうか。その間、およそ120年。これだけの長きにわたり、境界線が定まらない理由とは一体……? 修験
モニュメントの設置が計画されていた市道。今秋の行事でもサツマイモで二の鳥居が“再現”された=11月下旬、三島市大社町 鎌倉時代ごろに三島市の三嶋大社付近に立っていたとされる「二の鳥居」を“再建”するプロジェクトを進めていた三島商工会議所は22日、計画を取りやめる決定を下した。市から政教分離原則に抵触する恐れがあるとして、設置を予定していた市有地の使用許可が得られなかったため。単独事業の展開も模索したが、設置場所が確保できず本来の目的を達成できないと判断したという。 設置は大社から南に約300メートルの市道をまたぐ形で計画。2015年秋の行事で商議所青年部が、地元産サツマイモを筒状のケースに入れて高さ数メートルの二の鳥居を再現したところ好評で、商店街活性化や観光客の周遊促進にとモニュメントを新設する機運が高まった。 市は当初、補助金400万円を拠出して計画を支援する意向だった。しかし9月
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鹿児島市内を歩いて、どれだけの人がこのことに気づくだろうか。 「寺が少ない」――。 文化庁の『宗教年鑑』によれば、鹿児島県内の寺院数は489カ寺だ。例えば、鹿児島とほぼ同等の面積の山形県では1485カ寺、また広島県では1737カ寺である。 鹿児島県の人口10万人に占める寺院数(寺院密度)は、29.1カ寺。全47都道府県中の順位で言えば、寺院数が42番目、寺院密度が44番目と、確かに低水準ではある。 廃仏毀釈が激しかった鹿児島県 それには理由がある。 「鹿児島と言えば、西郷隆盛や大久保利通など、明治維新を主導した偉人を輩出した土地柄で一見、華やかな印象があります。ですが当時、この地域が大きなタブーを犯したことは、県民ですらあまり知らない事実なのです。いわゆる廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)です。今でもその後遺症を、鹿児島は引きずっています」 こう語るのは鹿児島県民俗学会会員の名越護さん(72歳)
今月完成したマップを広げながら、芭蕉の旅立ちに思いをはせる櫟原さん。奥に見えるのが千住大橋(東京都足立区で) 旅の起点は隅田川の北岸か、南岸か――。俳人・松尾芭蕉(1644~94年)が「奥の細道」の旅を始めた地を巡り、東京都足立、荒川両区が四半世紀もの間、論争を続けている。 その場所は隅田川にかかる千住大橋周辺とされるが、橋のどちら側かはわかっておらず、北岸の足立区と南岸の荒川区は共に「芭蕉旅立ちの地」を譲らない。地元の芭蕉ファンからは、「論争に終止符を」と融和策を模索する動きも出始めている。 ◆発端 論争の発端は1989年5月。旅の出発から300周年の記念事業で行われた、足立区と、芭蕉の住居があった江東区による旅立ちの再現イベントだった。 「奥の細道」で、芭蕉は出発点を「千住といふ所」と書いている。現在の千住大橋付近で船を下り、北へ向かったとされ、「行く春や鳥啼(な)き魚(うお)の目は泪
◆修正要請、執筆陣拒む 彦根市は、編さん作業を進めていた「新修彦根市史」(全12巻)について、唯一未完成だった第4巻「通史編 現代」の刊行を中止し、市史を全11巻で完結させると発表した。第4巻は執筆を終えていたが、市内で戦後に起きた労働争議を巡る記述などで執筆者6人と市で見解に相違があり、市は発刊中止を決めた。執筆者側は「一方的に決められた」と反発している。 同市史の編さんは1994年度から着手。2001年から刊行を始め、これまでに古代から近代までの通史編3巻や史料編全5巻、さらに景観編など計11巻を出している。 第4巻は、通史編の最終巻として戦後から現在までの市の歩みをまとめる予定で、大学教授6人に執筆を依頼。09年に原稿が市側に出された。執筆者側には、委託料約540万円を支払ったとしている。 市によると、原稿には〈1〉典拠資料に偏りがある〈2〉市にとって重要な事柄が抜けている〈3〉見方
車のナンバープレートに地元の地名を表示するいわゆる「ご当地ナンバー」を東京・世田谷区が要望していることに対し、反対する住民が「『世田谷ナンバー』ではなく、今の『品川ナンバー』のままがいい」と裁判を起こしました。 ご当地ナンバーは、地元の地名を車のナンバープレートに表示する制度で、東京・世田谷区はことし6月、現在の品川ナンバーから世田谷ナンバーに変更したいという要望書を国に提出しました。 これに対し、世田谷区の住民23人が「今の『品川ナンバー』は多くの人が愛着を持っていて、強制的に変えるべきではない。区はアンケートで80%が賛成だというが、回答は高齢者が多いなど公正ではない」などと主張して、1日、ナンバーを変えないよう国に求める訴えを東京地方裁判所に起こしました。 原告は会見で「ご当地ナンバーを導入したほかの地域と比べても世田谷区は面積が極端に狭く、自分の住所を公表しながら車を走らせることに
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