文政十三年、年も押し迫った十二月十六日に改元があり、天保元年となりました。西暦で言うと、1831年1月29日のことです。 文政十三年には天災が多く発生しました。いわゆる文政京都地震も、この年の七月(旧暦)に起こり、それを受けての改元のようです。 さて、松崎慊堂(まつざき・こうどう、1771-1844)『慊堂日暦』を読んでいたところ、同年十二月六日の記事に、こうありました。 京師の地震は、俗間に伝えて改元の事となす。過月七日、京師はまた大いに震い、相伝えて天保、或いは正文と改元すと云う。(『慊堂日暦』3、平凡社、東洋文庫、p.118) なんと、改元が公表される前に、新元号のことをあらかじめ知っていたというのですから、驚きます。十六日の記事には次のようにあります。 林公〔林述斎〕は有司をして歳儀を賜わしめ、長公〔林檉宇〕は別に博多煉酒及び醢を饋り、且つ今日天保と改元せることを報ず。果たして六日