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2018年9月30日のブックマーク (5件)

  • 【カナダ新年度の風物詩】子供達がチョコレートやハンドソープを売り歩く?! - simple life blog

    こんにちは。さくらです!! 今回は実は私もイマイチ、実態を把握出来ていない、日の学校にはない、カナダの学校のあるシステムについての記事になります。 年度初めの時期の風物詩 カナダでは9月から新しい学年になるのですが、そこで今の時期に毎年来るのが、その年の学校のアクティビティ(課外活動、遠足など)にかかる費用を賄う為に?!抑える為に、この時期にモノを買い取って、自分の周りの人に売るのです。厳密に言うと、お金を学校に支払ってしまえば、あとは自宅でべるも使うも良しなのです。 例えばこんな感じです☟ ☝これはどちらもチョコレート詰め合わせで、我が家は長男分として、上段のものを注文しました。上段のものは、36個チョコレートが入っていて、1個2$50¢です。 ☝次男分として、上段を購入したのですが、これはハンドソープやコーヒー、ホットショコラなどがセットになっている詰め合わせです。18個入りで1個

    【カナダ新年度の風物詩】子供達がチョコレートやハンドソープを売り歩く?! - simple life blog
  • 平取町二風谷「クマの姿岩」 アイヌ伝説の岩崩落、国指定の重要景観|ニュース|Webみんぽう

    平取町二風谷「クマの姿岩」 アイヌ伝説の岩崩落、国指定の重要景観 平取町二風谷にあり、アイヌ民族の伝説の岩として知られる「ウカエロシキ(クマの姿岩)」が6日未明の胆振東部地震で崩落した。国指定の重要文化的景観の構成要素とし…

    平取町二風谷「クマの姿岩」 アイヌ伝説の岩崩落、国指定の重要景観|ニュース|Webみんぽう
  • 長野)万葉時計 最後の奉納 諏訪市の時計作家:朝日新聞デジタル

    オリジナルの時計を作り続ける長野県諏訪市の時計作家、平林隆さん(62)が万葉の和歌をモチーフにした「万葉時計」の最新作を制作、10月9日に島根県雲南市の神社に奉納する。 今回モチーフにした和歌は、スサノオノミコトが詠んだと伝えられる「八雲立つ 出雲八重垣 籠みに 八重垣つくる その八重垣を」。駆動部を除いて平林さんの手作りで、制作に半年をかけた。表には彫金で「八雲立つ」のイメージをデザイン。裏面はスサノオの情熱性を表すピンクにし、駆動の一部が見えるようにした。 特徴はカレンダー欄で、数字ではなく「八雲立つ」の和歌が毎日一文字ずつ現れるようにしている。外径は40ミリ、厚さ8・9ミリ。主な素材にプラチナと銀の合金を使い、一部に金の合金をあしらった。 奉納先はスサノオがこの和歌…

    長野)万葉時計 最後の奉納 諏訪市の時計作家:朝日新聞デジタル
    consigliere
    consigliere 2018/09/30
    「万葉の和歌をモチーフにした「万葉時計」・・・今回モチーフにした和歌は、スサノオノミコトが詠んだと伝えられる「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」」万葉歌ではなかった
  • あなたが便利に使ってる日用品いろいろ、このメーカーかも?かなり有能な製品ラインナップにラブコールを送る人多数

    Yamazaki -山崎実業株式会社- @Yamazaki_home towerやtoscaなどのシリーズが皆様のご家庭にあるかもしれませんね。 Yamazakiアイテムが皆様の生活の一部になれますように。 ※コメント・DMからのお問い合わせ対応はしておりません。ホームページをご利用ください。 yamajitsu.co.jp/lab/ リンク www.instagram.com キッチン_インテリア_雑貨_ランドリー_収納のメーカー (@yamazaki.home.channel) • Instagram photos and videos 210.6k Followers, 2 Following, 843 Posts - See Instagram photos and videos from キッチン_インテリア_雑貨_ランドリー_収納のメーカー (@yamazaki.home.ch

    あなたが便利に使ってる日用品いろいろ、このメーカーかも?かなり有能な製品ラインナップにラブコールを送る人多数
  • 文政から天保へ | 学退筆談

    文政十三年、年も押し迫った十二月十六日に改元があり、天保元年となりました。西暦で言うと、1831年1月29日のことです。 文政十三年には天災が多く発生しました。いわゆる文政京都地震も、この年の七月(旧暦)に起こり、それを受けての改元のようです。 さて、松崎慊堂(まつざき・こうどう、1771-1844)『慊堂日暦』を読んでいたところ、同年十二月六日の記事に、こうありました。 京師の地震は、俗間に伝えて改元の事となす。過月七日、京師はまた大いに震い、相伝えて天保、或いは正文と改元すと云う。(『慊堂日暦』3、平凡社、東洋文庫、p.118) なんと、改元が公表される前に、新元号のことをあらかじめ知っていたというのですから、驚きます。十六日の記事には次のようにあります。 林公〔林述斎〕は有司をして歳儀を賜わしめ、長公〔林檉宇〕は別に博多煉酒及び醢を饋り、且つ今日天保と改元せることを報ず。果たして六日

    文政から天保へ | 学退筆談