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中国と歴史に関するcosmosquare77のブックマーク (4)

  • 中国、遼王朝の墓に金メッキ冠 騎馬民族の側室 - 共同通信 | This Kiji

    騎馬民族王朝「遼」の第6代聖宗の側室の墓から見つかった銀地に金メッキを施した冠。遺体が身に着けていたものとみられる(内蒙古文物考古研究所提供) 中国・内モンゴル自治区で10~12世紀に繁栄した騎馬民族王朝「遼」の第6代聖宗の側室の墓が見つかり、銀地に金メッキを施した冠やガラスのコップなど豪華な副葬品が出土したと、中国側と共同で副葬品を調査した帝塚山大(奈良市)などのチームが19日、発表した。 墓は2015年に見つかり、現地の研究機関が発掘したところ、墓誌銘から993年に24歳で亡くなった側室のものと判明。盗掘されており、遺体は木棺内のブーツに残っていた足の指の骨だけだったが、ガラス器、金メッキの冠などが出土した。 調査成果は25日、奈良県立橿原考古学研究所(橿原市)の学術報告会で発表される。

    中国、遼王朝の墓に金メッキ冠 騎馬民族の側室 - 共同通信 | This Kiji
  • 古代トルコ文字の碑文出土=モンゴル東部の遺跡-阪大など調査:時事ドットコム

    古代トルコ文字の碑文出土=モンゴル東部の遺跡-阪大など調査 モンゴル東部の遺跡から出土した、古代トルコ文字(突厥=とっけつ=文字)が刻まれた大型石碑(モンゴル科学アカデミー歴史・考古学研究所提供) 大阪大の大沢孝教授は8日、モンゴル東部の「ドンゴイン・シレー碑文遺跡」で、古代トルコ文字(突厥=とっけつ=文字)が彫られた大型石碑14が出土したと発表した。モンゴルの科学アカデミー歴史・考古学研究所との共同調査で、これまでに見つかった突厥碑文で最大級という。 遺跡は6~8世紀に存在したトルコ系遊牧民の国「突厥」の王侯の墓か、祭祀(さいし)を行った場所とみられ、石碑のうち少なくとも12は中央部のひつぎを入れる「石槨(せっかく)」を取り巻くように立っていた。 石碑は全長4~6メートルほどで、花こう岩に彫られた碑文が読み取れるほか、「タムガ」と呼ばれる部族の印章も計100個以上刻まれている。大沢教

    古代トルコ文字の碑文出土=モンゴル東部の遺跡-阪大など調査:時事ドットコム
  • 西夏文字解読という偉業・・・西田龍雄氏のこと - Tr,平居の月曜プリント

    昨日の新聞各紙に、西田龍雄氏の訃報が載った。西夏文字の解読者である。 昔、中学時代だったか高校時代だったかは憶えていないが、井上靖の『敦煌』を読んだ時、妙に印象に残った場面がある。主人公・趙行徳が、助けた女から礼として一枚の布きれをもらった。見ると得体の知れない文字が30個並んでいる。女はそれが西夏の文字であると告げた。行徳は読めないので、それを進士試験(中国における高級官僚登用試験)の長であった礼部の長官(礼部尚書)のところに持ち込み、解読を依頼した。やはり読めなかった礼部尚書は、その文字を「漢字を真似て作ったつまらぬ文字だ」と切り捨てる。それに対して行徳は、「一つの民族が文字を持つということは大変なことではないのか」「文字を持ったということは、それだけ西夏が大国になったということではないか」とい下がる。こんな場面である。 通常の言葉は、すべて音だけで生まれ、はるか後の時代になって文字

    西夏文字解読という偉業・・・西田龍雄氏のこと - Tr,平居の月曜プリント
  • 文字が語りかける民族意識:カラホトと西夏文字 | 貴重書で綴るシルクロード

    北京の東北、万里の長城で有名な八達嶺の手前に位置する居庸関には、雲台(1)と呼ばれる過街塔がある。塔自体は元末明初に損壊したが、下部のトンネルの左右両壁には、建立の由来などが6種の文字で刻まれて残っている。このうち5種類の文字については、それがランツァ文字(梵語)、チベット文字、パスパ文字(蒙古語)、ウイグル文字、漢字であることは以前からわかっていた。しかし、残りの1種は、いったいどこの文字なのだろうか。 長い間不明のままだったこの文字が、実は「西夏文字」という文字であることが判明するには、19世紀フランスの東洋学者・ドゥベリア(Devéria, Gabriel)の指摘を待たねばならなかった。居庸関が造られたのは1345年と、中国の長い歴史から見ればそれほど昔のことではないというのに、いったいなぜ、西夏文字はこれほどまでに忘れ去られてしまったのだろうか。 西夏文字とは、現在の寧夏から甘粛・

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