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倫理に関するcrow_henmiのブックマーク (145)

  • 宇宙倫理学4.ppt

    60 • • • Why be Moral? • • • v.s. (independent) • • • • NASA JAXA • SF • • – – – • • • • – → • – → • • • • • (“Our moral obligation to support space exploration” Environmental Ethics, 33, 2011) • • • • • • … • • • • • • • • • • • • → • → • → • – – – – • • – – – • • • • • • • • • •

  • 長谷川『縮む世界でどう生き延びるか?』:お気楽な成長否定の社会ダーウィニズム。ふざけんな。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    縮む世界でどう生き延びるか? (メディアファクトリー新書) 作者:長谷川英祐発売日: 2013/02/28メディア: 新書 生物は、個体数が増えるときもあれば、減るときもある。それぞれの時点で、そのときに応じたバランスがあって、みんな常に「適応」している。だから人間社会も、成長しているときがあればいずれは衰退縮小に向かうのは当然なので、いまの経済停滞や不景気も仕方ないことで、当然なんだからみんな我慢しろ、「適応」しろという。 バーカ。 この人は、『働かないアリに意義がある (メディアファクトリー新書)』の人で、ぼくも前にほめた。アリの研究者としてはいいんだろう。でもそれを安易に人間社会に適用する軽薄さにはうんざり。 いろんな生物はもちろん、増加局面でも衰退局面でもバランス取れて「適応」しているだろう。でもそれを言うなら人間だってあらゆる場面でバランスは取れて「適応」しているのだ。不景気の

    長谷川『縮む世界でどう生き延びるか?』:お気楽な成長否定の社会ダーウィニズム。ふざけんな。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • 岡崎乾二郎「火星の住民と地球の芸術家」

    1955年東京生まれ。造形作家。近畿大学国際人文科学研究所教授。主な作品=《あかさかみつけ》 《灰塚アースワークプロジェクト》 《回想のヴィトゲンシュタイン》 《Random Accident Memory》など。主な著書=『ルネサンス 経験の条件』など。 とうとう火星に水が発見されましたね。驚いていない人もいるようですが、火星に存在した巨大な氷を捉えた写真が新聞に掲載されて、僕は当に驚きました。希望が出てきた。 火星の水に驚かれたのは美的な判断で、ということですか? 美的な判断というよりも、むしろ悟性的な判断。それはヒトの備える論理的な能力の問題。コモンセンス。それにしても少しでもSFとかに触れたことがある人ならば、火星に水があるのがわかったら、火星人や空飛ぶ円盤を見つけたのと同じ驚きは感じて当然だと思うんですけれど、パニックになるのも困るけれど、あまり事件になっている気配はない。何故

  • もしも人工知能がピーター・シンガー『実践の倫理』を読んだら - 鳥籠ノ砂

    ピーター・シンガーは、倫理の適用範囲を人間以外、すなわち「動物」にまで拡大させたことで知られている。それは、彼が「最大多数の最大幸福」を重んずる功利主義者であることと関わっている。ここでは「幸福」が、シンプルに「苦痛ではないこと」として捉えられているのだ。彼は「幸福=苦痛ではないこと」を感じることの条件として「苦しむ能力」を挙げている。痛みや苦しみを感じることのできる者ならば、逆に誰でもその反対の状態=幸福を知っているというわけだ。この理屈に従えば、私たちはもはや「最大多数の最大幸福」の適用範囲を人間に限らなくても構わない。動物、より具体的に言えば脊椎動物は苦しむことができる。だとすれば、私たちは当たり前ながら彼らの苦しみを取り除かなくてはならない、というのがシンガーの主張だ。その考えから導かれるのは、科学的な実験において動物を用いることの禁止、さらには肉の禁止になる。 彼がそのようなこ

    もしも人工知能がピーター・シンガー『実践の倫理』を読んだら - 鳥籠ノ砂
  • 嘘をつくことは悪なのか? ――シュタゲ、まどマギ、ピンドラ、そして乙一 - 鳥籠ノ砂

    他者の言葉もまた、「私という他者」に応じてその形を変える。従って、代弁することや自分から語らせること、合意を取り結ぶことや自由に選ばせること、そのいずれも倫理的正当性を完全には保証しない。ここから導き出されるのは、私たちには他者の言葉が当かどうかを確かめることは原理的にできない、というごく当たり前の諦めだ。したがって、「嘘をつくこと、沈黙することは悪である」と簡単に言うことはできないし、「正直であること、雄弁であることが善である」と言うこともできない。なぜなら、言葉にまつわるそれらの判断はもう不可能性に陥ったのだから。 これは、一般的にカント倫理とは大きく異なった主張だろう。カントは、いついかなる場合でも嘘をついてはならないと述べている。したがって、私たちは私たちの倫理に別の名(仮に「責任」とする)を与えなければならない。責任とは、正直であることでも雄弁であることでもない。むしろ私(とい

    嘘をつくことは悪なのか? ――シュタゲ、まどマギ、ピンドラ、そして乙一 - 鳥籠ノ砂
  • あなたは「私は弱者だ」と言えるか? ――思想、震災、サブカルチャー―― - 鳥籠ノ砂

    ここに、あなたから見て明らかなハラスメントを受けている人がいる。仮に、名前をAさんとしておこう。このAさんを悲惨な状況から救うために、Bさんという別の人が「Aさんが嫌がっているじゃないか、やめろよ」と声を挙げる。しかし、Aさんはそれに応えようとしない。そこへ、Cさんというもう一人の人が現れると「Aさんの気持ちを、そうやって勝手に代弁するのはよくないよ。だって、当にイヤならAさんは自分でイヤだと言えるじゃないか。さあAさん、イヤならそうハッキリ言っていいよ?」と語りかける。これに対してAさんはしばらく口をつぐんでいたが、やがて「別にイヤじゃないですよ」と答えた。Aさんに明らかなハラスメントを行なっていたDさんは、自分がもう責められないことを知ってかホッとしたようだ。さて、そこで全てを見ていたあなたはなにを思うだろう? Eさんという人からすれば、Cさんはいくつかの間違いを犯している。一つ目は

    あなたは「私は弱者だ」と言えるか? ――思想、震災、サブカルチャー―― - 鳥籠ノ砂
  • セン『正義のアイデア』:ホントならちゃんと紙面で書評して人に読ませるべきえらい本。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    正義のアイデア 作者: アマルティアセン,池幸生出版社/メーカー: 明石書店発売日: 2011/12/01メディア: 単行購入: 35人 クリック: 1,631回この商品を含むブログ (30件) を見る 正月はさんで、えらくバタバタしていてちゃんと見ていなかったが、このセン『正義のアイデア』はどっかでだれかが当然採り上げているだろうと思って今日になってチェックしたら、なんとまったく出てこない! !!??と思って書評候補書の一覧を見直しても、そもそも出ていない! なんでや! 朝日新聞ともあろうものが、見落としひどすぎだろー……と思ってよく考えて見たら、これは朝日新聞のルールのせいだ。同じ著者のは一年だか半年だかの間には一冊しか扱わない! そして、姜尚中が『アイデンティティと暴力』の書評を書いてしまっているので、この書評の候補にはあがってこない。 えーい、姜尚中め余計なことを! だい

    セン『正義のアイデア』:ホントならちゃんと紙面で書評して人に読ませるべきえらい本。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • REAL-JAPAN.ORG

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  • 小泉 義之『弔いの哲学』

  • こなたま閣下の「まんべくん騒動と戦う民主主義について」

    こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo まんべくん関係で津田大介が「言論ではなく数の力で人の口をつぐませようとする」と言って、つまり言いたいことがあるなら言論で論破すればいいではないかと主張してるけど、一介のナチス研究家としてはわりとそれって「きれいごと」なんす こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo ある人がおかしな事(炎上して注目を浴びるのが目的であろうと推定できる)を言ったとき、それは抗議で封殺せず言論で対抗すべきではないか……っていう話、すごく見覚えがあるのですよ。そう、ホロコースト否定論。

    こなたま閣下の「まんべくん騒動と戦う民主主義について」
  • http://tokaimura.com/?p=951

  • まどかの救済――あるいは背中のまがったこびとの話 - 過ぎ去ろうとしない過去

    2月のエントリ「約束された救済――『魔法少女まどか☆マギカ』奪還論」は、編があのような結末をむかえたこともあって、大きな反響を呼んだ。もちろん、あのエントリは予測でも願望でもなく、魔法少女の理念をただ著しただけにすぎない。しかし、内心の予想以上にあのエントリとぴったりくる結末だったのをみて、人が一番驚いているとともに、ベンヤミンと『まどか☆マギカ』の相性はよいということを、ますます確信するに至った。 ところで、人気番組終了の常なのだが、最終回以後、様々な感想がネット上に飛び交っている。満足した者、満足してない者、それぞれいるだろう。あの結末は納得がいかない、という人がいるのはあたりまえのことである。ひとにはそれぞれ価値基準があるのだから。しかし、あのわかりやすい最終回を見て、なお見当違いな解釈をおこなっている人びとも多く見られる。それはたぶんにドグマ的であり、「誰かが幸福になるには誰か

    まどかの救済――あるいは背中のまがったこびとの話 - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 「平和主義と正戦論」

    平和主義と正戦論 ―グローバル化と暴力の制御、あるいは「9・11」の衝撃― 別所良美 (名古屋市立大学 人文社会学部) はじめに 二〇〇一年九月一一日、乗っ取られた民間旅客機がニューヨークの世界貿易センタービルとワシントンDCのペンタゴンに激突するという悲惨な事件が起こった。巨大なツインタワーが倒壊し、何千人もの一般市民の犠牲者が出るというテロ事件は未曾有の出来事であった。その後、『九月一一日以降、世界は全く変わってしまった』とメディアは再三繰り返していた。しかし一体何が変わったのか。アメリカが定義する「正義」に従って、アフガニスタンへの軍事攻撃に始まる、「反テロ戦争」という名の軍事的暴力が世界に拡散することではないのか。 稿は「9・11テロ」[1]の衝撃がもたらした変化を「平和主義」の危機と「正戦論」の復活という観点から考えてみたい。 1)      暴力のグローバリゼーション 九十年

  • プロ倫論争 - リベルテールの社会学

    生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。 ごく最近気づいたのですが、ウェーバー学者の間で揉め事が起こっているようです、というよりも起こってまして、羽入辰郎という人と折原浩一派という対決で。ウェーバー学者というのは、社会科学者ではなく、偉い人の業績をなぞることで学者の給料が出る人のことです。もちろん、それも大事で、世の中、「語り部」が必要であることは先に述べました。 羽入さんという人は、初めて知ったのですが、なかなか面白いウェーバー学者で、「プロレタリアリズムと資主義の精神」、違うか、「プロテスタンティズムの倫理と云々」略して「プロ倫」というウェーバーの主著が、いい加減極まりない、という。この人は社会学者ではなく、倫理学者で、ウェーバーのそのいい加減さが許せない、という趣旨です。 これに怒ったのがウェーバー崇拝の折原と

    プロ倫論争 - リベルテールの社会学
  • 無限責任あるいは、コップに水が半分(も/しか)入って(いる/いない)

    これもツイッターから転載。 安全ですと言っておいて、なにかあったら突然「なんにだってリスクはある。100%の安全は存在しない」と切り替えるとゆー。 http://twitter.com/sasakitoshinao/status/50323831499407360 いい機会だから、一部のアレなひとが言ってる「サヨクは無限責任を押しつけてる!」みたいな話をしましょうか。リスク論に絡めて。基的には先ほどの佐々木俊尚氏の言動に示されるような「安全です or 何にでもリスクがある」を都合良く切り換える、みたいな話です。 さて。「無限とは数学的に言うと……」みたいな話に真正面から突っ込むつもりはありません。どっちかというと、しりとり的な「無限の限とは、限界のことで。つまり量というよりも、限界面、境界線の話じゃね?」ってことです。あ、結論言っちゃった。 「水がコップに半分しか入ってないと考えるか、そ

    無限責任あるいは、コップに水が半分(も/しか)入って(いる/いない)
  • 『これからの「男気」の話をしよう』

    アレな人 @lezogo 【サンデル教授のお題】君は路面電車の運転手で、時速100キロの高速で走っているがブレーキが効かない。行く手に5人の労働者がおり脇にそれる待避線にがあるがそこには労働者が1人いる。ハンドルは効くのでハンドルをきり脇の線路に入れば、1人は殺してしまうけれども5人は助けることができる。

    『これからの「男気」の話をしよう』
  • 「救命艇問題」 - shinichiroinaba's blog

    その昔書いたメモ。何かがまだ欠けている。たとえば「単なる遭難者にとっての、遭難者同輩を助ける義務と、救助隊員にとっての遭難者救出義務、そして為政者の義務」の比較検討とか。 来登山とか危険なアウトドアスポーツに詳しくない人間の論じるべきことではない。 ======= 救助隊員のあなたが、沈没事故の連絡を受けて現場に急行したとしよう。ところが、救助隊員のあなたが乗っている船には一人分の余裕しかないのに、現場では二人の人間が溺れていたとしよう。(中略) いつも不思議なのは、人間の生死は最も重大な問題であるはずなのに、最も算術的に処理しやすい問題になってしまうということである。二人を救助する方が一人を救助するよりも正しいということには、2が1より大きいということ以外に根拠はない。二人を救助できない場合には一人を選択して救助するのが正しいということには、マイナス2よりマイナス1が大きいということ、

    crow_henmi
    crow_henmi 2010/12/21
    「留保なき生の肯定」問題についてのひとつの回答。
  • hopelessly happy - 書評 - ハーモニー : 404 Blog Not Found

    2010年12月11日16:00 カテゴリ書評/画評/品評Love hopelessly happy - 書評 - ハーモニー 早川書房木全様より献御礼。 ハーモニー 伊藤計劃 ただし原著の方は普通に購入して読了している。 えう。 幸福とは、夢も希望も必要ない状態と定義はしうる。 それを一つの作品に仕上げるとどうなるか。 その幸福すら必要ないところに逝ってしまった著者最後の長編の意義がそこにある。 作「ハーモニー」は、サイエンス・フィクションの形を借りた、幸福の最終解。 背表紙より 「一緒に死のう、この世界に抵抗するために」—御冷ミァハは言い、みっつの白い錠剤を差し出した。21世紀後半、「大災禍」と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は医療経済を核にした福祉厚生社会を実現していた。誰もが互いのことを気遣い、親密に“しなければならない”ユートピア。体内を常時監視する医療分子により病気はほぼ消

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    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 自腹は神様ではない - 伊藤計劃:第弐位相

    なんだか、ひさしぶりに道徳的な話を書きたくなってしまったので、ウザいと思う人はパスしてください。しかも、これから書く「道徳」は、かなりものを観るうえで初歩的な、小学生レベルの心構えなので、普通の人は読まなくていいです。 まず、映画は「テーマを観に行くものではない」ということです。 宣伝文句で言われていることは、大体の場合映画の作り手の意思とは何の関係もありません。「ミュンヘン」を観て「テーマがよくわからなかった」などという人は、映画を観に映画館に行っているわけではないのです。代理店のコピーライターが考えた数行のキャッチコピーを、わざわざ1800円払って映画館に確認しにいっているだけなのです。 映画とは、そこにただある映像に過ぎません。 そこから何を持って帰るかは、われわれに任されています。逆に言えば、映画を観て得られるものは、その人の感性や知性のレベルに見合ったものでしかない、ということ

    自腹は神様ではない - 伊藤計劃:第弐位相