昨日で40年経ったMIG-25亡命騒ぎ よく「ソ連最新鋭戦闘機が日本に亡命してきた」と言われてるけど、 一番重要なのは空自のスクランブルが捕捉できず突如と函館市街上空に出現し、強行着陸した20分後に通報で警察が来たという日本の防衛… https://t.co/UYai5P4GkH
戦時中に計画されたものの、製造されなかった大型軍用機「富嶽」について、機銃などを搭載する「掃射機」の設計図が群馬県太田市で見つかりました。専門家は、当時悪化し始めていた戦局を打開するため、大型機の開発計画が具体的に進められていたことを示す貴重な資料だとしています。 今回、新たに本体に機銃などを搭載し、敵機や地上の施設などを攻撃する「掃射機」の設計図を、中島飛行機の創業家と交流のあった太田市内の自動車部品メーカーの経営者が保管していたことがわかりました。 設計図は、昭和18年に作成されたと見られ、2つの冊子に分かれています。このうち、「四發掃射機」と記された表紙の左上には、「極秘」という文字が確認できます。図面には、機体を正面や横、それに上から見た全体像が描かれ、プロペラの数は左右合わせて4つとなっています。また、ゼロ戦にも搭載されていた7.7ミリ機銃や、20ミリ機銃を搭載させることなどが記
太平洋戦争中フィリピン沖で撃沈された旧日本海軍の戦艦「武蔵」の建造に使われた200枚に上る設計図が今も残されていることがわかり、初めてNHKに公開されました。専門家は「歴史の一部を確定する上で貴重な資料だ」と話しています。 その武蔵の建造に使われた設計図の一部、およそ200枚が武蔵を建造した三菱重工業長崎造船所に残されていることがわかり、NHKに初めて公開されました。設計図はエンジンや機関室のボイラーなどパーツごとに分かれていて、途中で改良のため加筆されたと見られる部分が、赤いインクで書き込まれています。また武蔵が完成した直後の昭和17年に資料として保管されたことを示す印も押されています。 中には「軍艦武蔵」という文字が墨で消された跡が残っている図面もあり、極秘プロジェクトとして建造が進められた武蔵に関する情報の取り扱いが厳重に管理されていたことがうかがえます。 広島県にある「大和ミュージ
特攻。今日では美化されて語られることの多い「十死零生」のこの作戦。一方で、はたしてその戦果がどの程度だったのか、が語られることは少ない。毎日新聞記者・栗原俊雄氏が、ある特攻隊員の証言と史料をもとに、歴史の闇に斬り込む。(前編はこちらから) 「特攻の記憶」 目の前に、「桜花」を抱いた一式陸上攻撃機(一式陸攻)が飛んでいた。護衛のゼロ戦に乗っていた野中剛(1925年生まれ)は突然、「耳元でバケツを打ち鳴らされたような音を聞いた」。そして機体後部に「ガン」という衝撃を感じた。 1945年3月21月。海軍鹿屋基地(鹿児島県)から特攻隊が飛び立った。一式陸攻18機を基幹とする「神雷部隊」である。護衛のゼロ戦は30機。敵は九州沖南方の米機動部隊(航空母艦=空母を基幹とした艦隊)であった。一式陸攻は爆弾、魚雷も搭載できる軍用機だが、この日は初めての兵器を胴体に抱いていた。 その兵器こそ特攻のために開発さ
リンク 日刊SPA! 『艦これ』人気キャラ・駆逐艦「雷」に隠された感動エピソード | 日刊SPA! 12月8日は太平洋戦争の開戦日で今年で74年となるが、「昭和は遠くなりにけり」。真珠湾攻撃の日でもあるが、大日本帝国海軍といえば、艦艇を美少女キャラクターに擬人化したオンライン海戦ゲーム『艦隊これくしょん』(通称「艦これ」)のほうが認知度が高く、来年には映画も公開予定だ。 『艦これ』にはあの戦艦「大和」や空母「赤城」も登場するが、その中で元気活発で母性あふれる少女キャラとしてプレイヤーに人気なのが駆逐艦「雷」(いかずち)である。 実はこの「雷」のキャラ設定には、実在の駆逐艦「雷」の太平洋戦争での秘話が投影 舞扇 @mahonoyumiya 駆逐艦「雷」に隠された感動エピソード a.msn.com/01/ja-jp/AAgba… 世界中で読んでいただきたい。撃沈した敵兵441名救助!日本兵は武
第二次世界大戦中に沈没した戦艦「武蔵」を発見したと、Microsoft共同創業者ポール・アレン氏が3月3日、自身のTwitterアカウントで報告した。 戦艦「武蔵」 武蔵は1944年、フィリピンのシブヤン海に沈んだ。アレン氏は水深1キロに沈んだ武蔵を、同氏所有のヨット「Octopus」号が見つけたとし、Twitterに写真を投稿。船首に菊の紋があり、巨大な錨があるとしている。同氏はバルブの写真も投稿しており、バルブの中心の部分に「開」などの漢字が書かれているのが見える。 ポール・アレン氏のTwitterアカウント アレン氏は現在、慈善活動を行ったり、スポーツチームを保有しているほか、宇宙探査や海洋調査などに出資し、「Octopus」号を探査や研究のために貸し出してもいる。友人で映画監督のジェームズ・キャメロン氏の深海探査に協力したこともある。 Octopus号(アレン氏公式サイトより) 戦
El Despacho Desordenado ~散らかった事務室より~2015年1月4日から「Diario de Libros」より改名しました。 メインは本の紹介、あとその他諸々というごっちゃな内容です。 2016年4月13日にタイトル訂正。事務机じゃなくて「事務室」です(泣)。 ここに一冊の本があります。『不撓 日独潜水艦協同訓練時代を偲ぶ』と題された通り、この私家版本は著者の海軍下士官時代を中心にした回想録です。彼は機関兵から、志望だった潜水艦に乗り組んで最終的に機関兵曹長になりました。 そんな彼の乗り組んだ潜水艦の一隻が、ドイツから日本に譲渡されたUボート「Uー511」でした。1941(昭和16)年12月8日と「くしくも日米開戦の日に竣工」(p.84)した本艦は1943(昭和18)年5月にドイツはキール軍港を発ち、当時日本占領下にあったマレー半島ペナンを経て同年8月7日に呉に入港
いおきべ・まこと 兵庫県西宮市生まれ。70歳。京都大法学部卒。神戸大教授、防衛大学校長などを経て、熊本県立大学理事長、公益財団法人「ひょうご震災記念21世紀研究機構」理事長。サントリー学芸賞などを受賞。文化功労者。 真珠湾攻撃という選択肢しか、日本にはなかったのか。元防衛大学校長で、歴史家の五百旗頭真さんに聞いた。【高橋昌紀/デジタル報道センター】 日本が真珠湾攻撃に踏み切った1941年12月8日、それは欧州の東部戦線でドイツ軍によるモスクワ攻略の失敗が明らかになった直後でした。近代戦の要は首都攻略です。これにより、ソ連が早期降伏する見込みはなくなり、ドイツは対イギリスの西部戦線も抱え、第一次世界大戦と同様に「二正面作戦」に陥った。日本はドイツ、イタリアと三国軍事同盟(1940年9月)を締結することで、米国やイギリスをけん制しようとしましたが、頼みの綱のドイツが致命的な敗北を被ったわけです
茨城県鹿嶋市の旧大日本帝国海軍基地のそばの公園に展示されている旧日本軍の特攻機「桜花」のレプリカ(2014年8月7日撮影)。(c)AFP/TOSHIFUMI KITAMURA 【8月15日 AFP】神風特攻隊の元パイロット、カンベ・ユタカさん(91)は、70年近く前に死んでいるはずだった。 第2次世界大戦(World War II)末期、勝利への執ようなねばりをみせる日本を特徴付けた自殺攻撃。死んでいった数千人の隊員と同じ運命からカンベさんを救ったのは、1945年8月15日の日本の降伏だった。 だが歳を重ね、再び死を身近に感じるようになったカンベさんは、安倍晋三(Shinzo Abe)政権下での政治の右傾化や、神風特攻隊を美化する最近の映画が、日本の若い世代から戦争の恐ろしさが失われたことを示しているのではないかと不安を感じている。 「あれはやっぱり正気の沙汰ではない。美化することなんて賛
「集団的自衛権」の見直し、首相の靖国参拝など、周辺諸国から「軍国主義化」の懸念も表明され始めた、このところの日本。では、「あの戦争」を、70年前の日本人はどのように戦ったのだろうか? 『日本人と日本兵』(講談社現代新書)著者の一ノ瀬俊也氏に、敵であるアメリカ軍の目に映った日本兵の赤裸々な姿について話を聞いた。 実は弱かった「日本軍」? ――単刀直入に言って、米軍の日本軍に対する評価はどうだったのでしょう? 高かったのか、低かったのか? 一ノ瀬 同時代の他国陸軍との比較ということであれば、決して高くありません、というより低いです。当時のヨーロッパにおける陸戦はまず航空部隊が敵の正面から後方まで爆撃し、続いて戦車部隊が前面に出て敵陣を突破、これを後続の歩兵部隊が占領するという機甲戦になっていますが、これに関する日本軍の装備・戦術は最後まで日中戦争レベルに過ぎない、という低い評価です。各戦場で相
日本で敗戦と言えば、太平洋戦争での敗戦を指すことが多いと言えます。一般人が映画などで触れる日本の戦争映画は、戦艦大和や本土空襲、原爆、せいぜい南方占領地などを主題にしたものが多いため、中国戦線に関する認識がかなり希薄だと言えるでしょう。このため、“日本はアメリカに負けたのであって中国には負けていない”と言った自慰的思考にはまる人は少なくありません。日本極右が排外感情を煽ろうとするとき、国内矛盾を転嫁するスケープゴートとして、中国を格好のターゲットとするのもそのためです。ですが、“日本はアメリカに負けたのであって中国には負けていない”という日本極右の主張は歴史的事実なのでしょうか。 日本軍侵攻に救われた共産党? 1937年からの日中戦争は日本では「支那事変」と呼ばれ、日本政府は「事変」であり「戦争」ではないと唱えていました。日本海軍にとっての主敵は米英、日本陸軍にとっての主敵はソ連であって中
戦艦大和の運用次第で、太平洋戦争の戦局は覆っていた!(1)/平間洋一(元防衛大学校教授) PHP Biz Online 衆知(歴史街道) 9月29日(日)20時23分配信 《『歴史街道』2013年10月号より》 太平洋戦争のターニングポイントとされる戦いにおいて、戦艦大和が効果的に運用されていたら、勝敗は逆転し、日本が優勢となる可能性は高かった。さらに戦術的レベルに留まらず、戦略的活用に踏み切っていれば、大和は世界大戦の帰趨さえ変えてしまう力を秘めていたのである。 ◆ミッドウェー海戦の IF◆ 戦後の日本では、大和をして「万里の長城、ピラミッドと並ぶ、三大馬鹿」とまで評する声がある。まさに何をかいわんや。確かに、大和はその実力を発揮する機会を与えられなかったが、それだけを理由に「無用の長物」と批判するのは見当違いも甚だしい。それはスポーツにおいて、出場機会を与えられなかった名選手を、
金剛つんどら @tundrache 「日本は戦前に八木アンテナを発明してたのに、情報軽視で電探開発で出遅れて、合衆国は電探に力を入れてたから、空襲の探知やレーダー射撃で日本艦隊を手玉に取った。」という説はあまりにも大げさで偏った見方である、と電探の歴史を読んだりすると思う。 2011-04-18 21:25:52 金剛つんどら @tundrache CXAMレーダーやSCレーダーなんかの米軍の評価は意外と高いものではないし、結局或る程度満足のいくレーダーが装備出来たのは大戦も末期になってから。その頃には日本側も21号の改良も進み、軽量な13号も出来、あまつさえ22号を使った電探射撃をやって「こいつは使える」とか言ってたりする 2011-04-18 21:28:45
金剛つんどら @tundrache 「北号作戦が成功したのはいいが、どうすんだこの呉に積み上げられた物資……。鉄道輸送なんか壊滅してるぞ!」 伊勢「ウチは知らん」 #本土にあった怖い話 2012-08-18 23:12:53
■編集元:軍事板より 240 名無し三等兵 :2011/01/17(月) 00:13:09 ID:??? よくこんな給油を考えるもんだ 241 名無し三等兵 :2011/01/17(月) 02:29:56 ID:??? >>240 そこまで考えた抜いた末に、ある出撃では給油ブロープが壊れてブラジルに緊急着陸 するハメに・・・・ 余談だが、くだんのバルカンの乗員はマスクからの呼気に含まれてたヘリウムだかで 声が変わってたため、ブラジル側の管制官は 「いきなりドナルドダックが通信に割り込んできたからビックリした」 そうな。 242 名無し三等兵 :2011/01/17(月) 14:41:31 ID:??? >>240 なるほど、給油機に給油しないと、一番先まで届かないのか。 「補給は距離の2乗で困難になる」の好例だな。 243 名無し三等兵 :2011/01/17
別件で上京した機会をとらえて、防衛省の防衛研究所史料閲覧室でなにかおもしろそうな史料はないか漁ってきました。 ちょっと使い勝手は悪かったですが、あそこはあそこで宝の山ですね! ぜひまた漁りに行きたいですね。旧軍関係者の回想録とか文書とかあそこ(一部東アジア歴史資料センターにもあるが、やっぱ史料閲覧室の方が豊富かね)にしかない史料がいっぱいって感じ。 あまり多くは読めなかったけど、その中でも特に「折田貞重大佐回想録」がお勧めかな? とても興味深いことがたくさん書いてあります(あと当人がすごいやる気になって書いています)。一部コピーしてきたので、そのうち著作権に反さない限りの引用で紹介します。 それはそうと、以下の二つのような防衛研究所の奇妙な対応も体験してしまいました。 ・閲覧不可になった毒ガス戦史料 日本軍毒ガス作戦の村―中国河北省・北坦村で起こったこと 作者: 石切山英彰出版社/メーカー
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