手嶋 龍一氏に聞く:2007年、アジアの隠れた“火薬庫”は台湾海峡 (聞き手:諏訪 弘=フリーライター) (前回記事はこちら) ■「台湾海峡の危機」とは具体的にはどういうものですか。 手嶋 日本に大きな影響が及ぶ東アジアの有事は、台湾海峡と朝鮮半島にあります。台湾海峡と朝鮮半島の順で申し上げたのは理由があります。朝鮮半島で武力衝突が起きても、米中両大国が直接武力で衝突する事態とはならない。しかし、台湾海峡を挟んでは、この両大国が戦火を交える最悪のシナリオを想定しておかなければならないからです。 戦略的思考の要諦は、想像すらできない事態を思い描いておけ、というものです。しかしながら、台湾海峡の危機は戦略を扱う人々の思考にどっしりと根をおろしている。現に1996年には米中の危機が現実のものになりました。この年、台湾の総統を初めて民主的に選出する直接選挙が行われることになりました。中国
東京タワーは、地デジ放送を電波で発信しています。 その東京タワーにこいのぼりが付けられています。 こいのぼり 東京タワーに333匹なびく http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090407-00000002-maip-soci その数は東京タワーの高さにちなんで、333匹だとか。 すごい数のこいのぼりがタワーにつるされている風景は壮観で、 見る人を圧倒するそうです。 333メートルという高いタワーに、こいのぼりがずら~っとなびいている風景は、 想像しただけでも凄そうですもの。 端午の節句の翌日まで、東京タワーでなびくこいのぼりを見る事が出来るそうです。 私は東京に気軽に行ける距離の地域ではないので、 たぶん333匹の鯉のぼりを見る事は出来ないと思うのですが、 お近くの方は折角ですから観に行ってみるのも良いですね。 そういえばもうすぐ端午の節句ですね。 この
武田信玄の軍師・山本勘助は、永禄4年(1561)の川中島の戦いにおいて、69歳で戦死している。この事実に基づけば、勘助は、おそらくは明応元年(1492)ごろ、生まれたことになる。戦国時代が始まった応仁元年(1467)から25年を経たころである。慶長5年(1600)9月15日、関が原の合戦の108年前に生まれ、39年前に戦死したことになる。武田信玄(晴信)に仕えたのが、51歳のころというから、天文22年(1553)のころであろう。在職は僅か18年にすぎない。 14~15歳ごろ元服し、浪人しながら諸国を放浪し、各地で合戦を目撃したり、ときには、雑兵に紛れて参戦したりしながら、兵法を実戦的に学んだという。NHK大河ドラマ「風林火山」の第2回目(1月14日)は、そのことを連想させる作りであった。 山本勘助の兵学の師匠がだれであったか、また、兵法の最高峰「孫子の兵法」にいつごろめぐりあい、開眼したか
■無能な大学教授や女性研究者が、何故、蔓延るのか。 車谷長吉が「文学の基本」(「新潮」2月号)というエッセイで、まさしく文学の基本問題について、例によって過激なことを書いている。とは言っても、これは慶応大学での講義録(「詩学」)のまとめを再録したもののようだが、そこで車谷長吉が本質的な議論を展開しているが、中でも、文学の世界に、「頭の悪い人」や「頭のいい人」や「頭の強い人」…がいるという議論には感服した。車谷長吉は、「頭の強い人」が一番文学に向いていると言いながら、「頭のいい人」の部類に入る作家たちを、たとえば大学教授とか大学助教授という社会的な身分を確保しつつ小説や批評を要領よく書いて、文壇を闊歩しているような軽薄な作家や批評家たちを、「傷つくことを恐れる」小心者たちだ、とこき下ろしている。文学者は、そうであってはならないだろう、と。むろん、私は車谷長吉の主張に全面的に賛成する。と同時に
「納豆」と「マーケティング」と「情報操作」。 2007年01月15日06時56分 / 提供:PJ 【PJ 2007年01月15日】− 14日付のPJニュースで伝えられたように、またまた「納豆」事件が起こっている。テレビの情報番組で健康効果を取り上げると、その翌日のスーパーの売り場からは、その商品が売り切れ・欠品の状態になってしまう。「ココア」「バナナ」「寒天」「納豆」などなど、今まで騒ぎを起こしたアイテムは、数知れない。健康志向が強くなった最近の傾向でもある。 この現象は、マーケティング戦略の手法の「市場創造」でしかない。つまりは、「仕掛け」である。いまや、産学同一の時代である。研究成果の市場への刺激ができるものは、商品価値を高めることができる。つまりは、ダイエット効果とか、血液サラサラ効果とか、多少の数値、実験で誤りでないと思われるものは、情報として流せば、必ず市場を刺激して、購買行
納豆がない。 ひとつもない。 これはびっくり。 私のうしろにいたおじさんもびっくりしていて「おい、納豆がないぞ」と奥さんに言っている。 奥さんが説明してくれたので私も聞き耳を立てる。 「『あるある大事典』で『納豆を一日二個食べると痩せられる』って放送したんで、日本中のスーパーの店頭から納豆が消えてしまったんですって」 そ、そんなことがあったんですか。 私は朝食は納豆、生卵、味噌汁、漬け物という「純日本派」であるので、納豆が払底するということの食生活への影響は甚大である。 それにしても、と私は思う。 日本人は凄い。 TV番組で「これは健康によい」とか「これで痩せます」とかアナウンスするだけで日本中の店頭からブツが消えるのである。 石油ショックのときに、日本中のスーパーから洗剤とトイレットペーパーが消えた日のことを思い出した。 なぜ選択的に「洗剤とトイレットペーパー」だったのか、理由は誰も知ら
■『遅れてきた反抗期のインテリ青年』と『小賢しい思春期の少年』 結局インテリって、ツンデレだよね。 マジメ根性が心底染み付いてるからいくら批判しても、権威を基盤にしてるから。 その批判が結果的に『批判しているはずの体制』におもねっている。 でもその事に無自覚だし。 そんな奴らが中二病とか笑ってるんだから目も当てられない。 つまり、批判しているつもりが、逆説的にその対象を支持しているということだ。 たとえどんなに支持してなくても、その対象の権威の確立に貢献しちゃうので支援した形になってしまうわけだ。 全闘時代なんかがわかりやすいけど、結局最終的には、国家の手玉にとられてあの時代は終わってしまったわけだ。 インテリは常に権力の犬になってしまう運命にある。(権力というより『犬』という性質の方が重要、逆らい方が下手) インテリの学生の方々がやる批評が上滑りするのはあれは批評というより、いわば遅れ
今日はあんまり時事・政治とかとは関係のない話をします。 「楢柴肩衝(ならしばかたつき)」と本能寺と井戸の茶碗とすごい九州国立博物館の話です。 本能寺の変で、明智光秀によって織田信長が殺された、ってのはみんな知っているとは思いますが、なんで信長は、少数の護衛しかつけないで本能寺にその時いたのか、という理由は、知らない人もいるかも知れないのでちょっと話してみます。 実は、前日の「天正10年6月1日(1582年6月21日)」に、本能寺で茶会がおこなわれ、それに信長はどうしても出席しなければならない理由があったのです。 で、その理由とは、博多商人の嶋井宗室(しまいそうしつ)が持っていたという伝説の「楢柴肩衝(ならしばかたつき)」、なんですね。 →三宅孝太郎のラジオ出演2 吉田:えー、それで、明智光秀の謀反によって、本能寺で自害をする信長についてですが。信長が本能寺にいたのは、実はお茶会を開くためだ
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時間はどこで生まれるのか スポンサード リンク ・時間はどこで生まれるのか 「ミクロの世界に時間というものが仮にあるとしても、マクロの世界における時間とミクロにおける時間は、同一のものではない。また、マクロの世界においても、物理学的時間と人間(生命)が感じる時間は同一のものではない」 マクダカートによる時間の分類が最初に紹介されている。 A系列の時間 自分がいる「今」という視点に依存する主観的な時間 B系列の時間 歴史年表のように過去から未来を見渡す客観的な時間 C系列の時間 順序関係がない、単なる配列 人間が普段、感じているのはA系列の時間である。デカルト哲学やニュートンの科学が相手にしているのはB系列の時間であった。(時間という概念でB系列のイメージを持つ人が多そうである。)。マクダカートはこうも述べている。 「A系列の時間も、B系列の時間も、実在しない。しかし、C系列は実在する可能性
Brutus編集部の 鈴木芳雄さんとのお付き合いは もう何年になるだろうか。 最初は、ソニーのQUALIAの記事の 時だったと思う。 髪の毛が長い、ライオン丸のような 人だなあと思った。 それ以来、事あるごとに お目にかかってきた。 半年くらい前に、「茂木さん、 今度、Brutusで特集をしましょう」 と言われたとき、 「うん?」とあまり意味が よくわからなかった。 そのあと、学会の時とかに ついて来ているなあと思ったら、 いつの間にか黄色い表紙の ブルータスが出来た。 仕上がりを見て驚いた。 ブログの記事などをうまく使って、 面白いものになっている。 編集の力というのは、凄いものだと 思う。 「いやあ、鈴木さんは、編集の天才ですね!」 と申し上げたら、 「もっと言って、もっと言って!」 とライオン丸が言った。 「ライオン丸」鈴木芳雄氏(左の方です)。 サンクトペテルブルクにて。 その発刊
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