いちおう書くと、現在はブロガーにとってチャンスですよ。言うまでもなく、コロナです。 初心者ブロガーなら、例えば「コロナウイルスに関する必読記事10選」とかを書けば、かなり読まれやすいはず。もしくは、コロナに関する海外ニュース翻訳な… https://t.co/nx0Q5CgtDz
京都大学にどんなイメージをお持ちだろうか。京大と聞けば、自由の学風、学生の自治、森見登美彦が描いてきたような変わり者の学生たちを思い描く人が多いだろう。現総長の山際寿一氏も「おもろい」学生の育成が重要だと様々な場面で語っている。半ばイメージ戦略の側面もあるだろうが、大学側も、自由、個性の尊重などを特色として掲げていることがわかる。 しかし、学生たちに取材をすると、そのようなイメージ戦略に用いられる「自由」「個性の尊重」とはかけ離れた現状が浮かび上がってくる。 むしろ京都大学は、ここ数年で「不自由」になっている向きがある。多くの学生たちが、これまで京大らしさと謳われてきた自由や、個性を重んじる学風が失われつつあると感じているのだ。大学のなかで何が起きているのか。以下では学生たちへの取材に基づき、京都大学の変化の一端を描いてみたい。そこからは、大学の奇妙なまでの余裕のなさが垣間見えるはずだ。
自転車で片道数十分のところに、月に一二度ほど行くキムチ屋がある。途中に最近お気に入りのアスレチック遊具が置かれた公園があるのと、店の近くにリサイクルショップがあり、子はそこで何かしらのおもちゃ(300円程度だ)を手に入れるのが楽しみなので「今日はあそこに行こう」と言えば、自転車後部座席への長時間拘束にも、さほど異論は挟まないのだ。 その店では、最初にたしか白菜キムチを買った。こりゃいいなと、次に行ったときにはアミ海老の塩辛も買った。これもなんともいい味だった。店主とはお互いに名前を知っているわけでもないし、実のところ店の名前もうろ覚えだけれど、そのあたりに行くたび寄っていたので、なんとなく顔を覚えてもらったようだった。 いま使っている電動アシスト自転車はバッテリー充電100%状態からであれば、スペック上の距離にして45〜50km・時間にして180分程度をモーターのアシスト付きで走行できる─
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