コラム 【寺野典子コラム】レッズ降格圏、Jクラブの継続力を考える Tweet 2011年10月18日14:15 Category:コラム寺野典子 浦和レッズのペトロビッチ監督が、試合後の会見で辞意を表明したというニュースを聞き、2003年ナビスコカップ決勝戦での勝利後に、シーズン限りでの辞任を発表したハンス・オフト監督のことを思いだした。7年前も今回も同様に、クラブの社長は「まったく聞いていなかった」と試合会場で語っている。 レッズはクラブ史上二度、監督から突然に辞意を告げられたわけだ。 ■オフトの場合 2000年シーズンをJ2で戦ったレッズは、2001年にJ1へ復帰したが、成績は芳しいものではなかった。その年の夏に社長に就任した塚本高志は、チームの基礎作りを長期的な視野で行うことを決断。強化部などの人事を刷新し、オフトを監督として招聘。3年計画でのチーム改革が目標として掲げられた。 ピッ