中古レコード屋を巡る方は、国内の7インチを掘っているとだいたい落合博満とか増位山のレコードにぶち当たると思いますし、店によっては「相撲」「野球」という仕切り板に遭遇することもあるかと思います。 仕切り板はある意味店のアイデンティティでもありますので、「相撲」「野球」「プロレス」「お笑い」「外国人」とかの仕切り板があるレコ屋は、それだけで自分にとってその店はリスペクトの対象になります。 で、そういう仕切り板が必要なタイプの音源って最近出ていないと思いまして。 この手のレコードはだいたい「テレビを見ていたら出てくる人」に歌わせることで、知っている人は多い分ヒットまでは行かなくとも最低限のアガリは期待できるということが条件かと思いますので、テレビが相対的に地盤沈下した今では望むべくもなく、ということだと思います。 また、その手の門外漢の方が歌うのは割と演歌・歌謡曲系か、そっちでなければフォーク的
'88年11月、19歳の武豊がGI初勝利を果たした翌日、ひとりの記者が栗東へと赴いた。そこから取材を続けて30年。初代“ユタカ番”が明かす天才騎手のルーツ。 2023年2月4日、武豊騎手が小倉1Rで前人未到のJRA通算4400勝を達成しました。これを記念して、Number913号(2016年10月20日発売)より『[初代番記者の追憶]武豊 四千勝の源流。』を特別に無料公開します。※年齢、肩書などはすべて当時 「この若者の一夜明けの表情を取材して来い!」 '88年11月6日、デビュー2年目の武豊が19歳の若さで菊花賞を鮮やかに勝った。そのシーンを大手町のサンケイスポーツ新聞東京本社で地味な内勤仕事をしながらテレビで観ていると、多くの先輩記者を差し置き、デスクの指令が入社間もない私に向いたのだ。 教わった取材の手がかりは武家の電話番号だけ。もとより宿泊の準備もなかったが、初めての栗東へ喜び勇
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