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考え方と映画に関するdcfmpmのブックマーク (3)

  • 『永遠の0』の何が問題なのか?

    先月に一時帰国した際、評判の映画『永遠の0』を観ました。また、小説も評判であるというのでこちらも読みました。どちらもプロの仕事であると思います。技術的に言えば、ストーリー・テリング(物語の展開)だけでなく、セッティングやキャラクターの造形、そして何よりも時空を超えた大勢のキャラクターが、物語の進行とともに「変化していく」効果が見事です。 キャラクターの「変化」というのは、「成長」したり「相互に和解」したり、あるいはキャラクターに「秘められていた謎」が明かされたりしてゆくという意味です。そうした効果を、時空を超えた複数のキャラクターを使って、しかも2000年代と第二次大戦期という2つの時間軸の中で実現している、そのテクニカルな達成はハイレベルだと思います。 更に言えば、老若男女の広範な層にまたがる読者あるいは観客は、多くのキャラクターの中から自分の感情を投影する対象を見出すことができるように

    『永遠の0』の何が問題なのか?
  • 『かぐや姫の物語』の、女の物語 - 戦場のガールズ・ライフ

    『かぐや姫の物語』を観た。強い衝撃を受けた。昔話のあらすじそのままでありながら、昔話ではなかった。これは、あきらかに現代を生きる女の話だった。震えた。 思春期を迎える頃に、かぐや姫は生まれ育った山を離れ、都へと連れていかれる。この時点でいくつかの喪失がある。子供時代の喪失。野山を駆け巡る生活の喪失。遊び仲間の喪失。姫は、このときまだ自分が何を失ったのか理解していないが、「子供時代の喪失」は、女にとって、人間性を一度失うことと同じである。女にとって、大人になるということは、ただ子供から大人になるということではない。大人ではなく、「女」になれ、という周囲からの強制が必ず働く。ただ自分の意志で好きなことをし、気持ちをそのままに表現できた子供時代を失い、人目を気にして誰から見られても恥ずかしくない「女」になれと強いられるのは、自分自身を捨てろと言われているのに等しい。都に移り住んだ姫は、走り回るこ

    『かぐや姫の物語』の、女の物語 - 戦場のガールズ・ライフ
    dcfmpm
    dcfmpm 2013/12/02
    あっ、これは観てないひとは観てから読んだ方がいい内容だ。
  • アニメ監督・北久保弘之氏、宮崎駿氏がなぜ『天空の城ラピュタ』を失敗作だと思われているのかを語る。

    北久保監督のつぶやきをまとめました。 北久保さんのつぶやきを拝見し私個人としては、宮崎監督はラピュタは制作者として後悔がものすごく残ってしまった作品なのではないかと感じました。また宮崎監督は携わった全作品について多かれ少なかれ納得していないのだと考えます。だからこそ今現在も新しい作品に挑戦し続けられるのだと思います。 北久保弘之 - Wikipedia - http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%BC%98%E4%B9%8B

    アニメ監督・北久保弘之氏、宮崎駿氏がなぜ『天空の城ラピュタ』を失敗作だと思われているのかを語る。
    dcfmpm
    dcfmpm 2012/05/19
    王道のジュブナイルがもはや成立しないのを承知な上で、その葛藤を物語の中に持ち込んで駆動させる事で生まれる強い牽引力が、むしろラピュタの魅力として機能してる側面のが重要だろうと思うが。
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