バイカル湖畔の静かな暮らしにあこがれてサンクトペテルブルクからリストビャンカに越してきたアンドレイ・スハノフ(57)=2019年3月3日、Emile Ducke/©2019 The New York Times。ところが、中国人が押し寄せるようになり、「このまま放っておけば、あいつらにここを乗っ取られる」と憤る
![バイカル湖に押し寄せる中国人、地元住民との深い溝:朝日新聞GLOBE+](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/451b7328f1e7bfbe2bf2a78081525aa94cc4e266/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fp.potaufeu.asahi.com%2Fea1d-p%2Fpicture%2F16547427%2F622702bd9409544b3102cf8ebf0847bb.jpg)
韓国の全羅南道康津郡のテグ小学校に通うおばあちゃん1年生=Chang W. Lee/©2019 The New York Times。読み書きを勉強できる喜びで、笑顔が絶えない
レゴの突起を活用した点字ブロック=Lego via The New York Times/©2019 The New York Times。対応するアルファベットの文字や数字などが印字されており、目の不自由な子も、そうでない子も一緒に遊べる
中国の満洲里市の鉄道駅近くには、木材が山のように積まれている=Lam Yik Fei/©2019 The New York Times
大西洋・西インド諸島のセントルシアにある「ジェード・マウンテン」=Jade Mountain via The New York Times/©2019 The New York Times。外気を利用したオープンエアの客室区画は、空調が不要になっている
【前編】本屋の新展開 中国と韓国はここまで変わった 日本では、書店が毎日3店余りのペースで消えている。アルメディアの調べでは、2000年の2万1654店から18年には1万2026店まで減った。 私は岡山県の海が近い農村で育った。小学校は1学年1クラス。学校から自宅は離れていて、近所に同じ学年の子はいなかった。友だちを待つ間、学校や市民センターの図書館で時間をつぶし、1人で帰る時は寂しさを払うため本をめくりながら歩いた。本は見知らぬ世界と私をつないでくれる頼りになる友だちだった。つまんない本にでくわしても、仲良くならなきゃと無理して読み通した。そうしないと読む本が尽きてしまう。 町に1軒だけある書店は教科書、新聞の販売店を兼ねた立ち読み厳禁の小さな店。日本の地方のあちこちにあった光景だろう。テレビで見る都会の大きな書店が羨ましかった。たくさん並ぶものから何かを選ぶ行為は豊かさの象徴だ。自分に
中国の新興民営書店「言几又」の西安旗艦店。カフェやバーを備えた「美しい」と評判の店内は、SNS映えスポットとしても知られる。 ■西安 1年で書店が倍増 この1年ほどで書店数が2倍以上に増えた街があると聞いた。唐の都は長安と呼ばれた陝西省西安市。人口は約1000万人。大阪府より1割ほど多い規模の都市に2000近くある。大阪の約2倍である。 いったい何が起きているのだろう。 北京から高速鉄道で5時間半。隋が都をおいた河南省洛陽市のあたりから土が乾いた黄色に変わる。黄河文明揺籃の地だ。空港のように大きな西安北駅から、城壁で囲まれた古い街を通りすぎ、新しい商業地区へと車を飛ばす。目指す店は、グランドハイアットホテルの隣の高層ビルにあった。 2006年に四川省で創業した民営の「言几又(イエン・チー・ユー)」が昨年末に開いた。インターネット上で「中国で最も美しい書店」に数えられる。全国60店のなかの旗
中国国境のボーテンと首都ビエンチャンを結ぶ鉄道(約410キロ)のトンネル。全線で75もの数が掘られている=2019年2月22日、ラオス・ルアンプラバン郊外、吉岡桂子撮影 中国が敷く「初めて」の鉄路 世界遺産の町にも駅 バンコクからタイ航空のジェット機で1時間半。まるごとユネスコの世界遺産に登録されている町、ルアンプラバンに飛んだ。着陸が近づくと土色にうねるメコン河が見える。村上春樹さんが紀行文で「街そのものより、街外れにある飛行場の方がたぶん大きいだろう」と書いた空港は、中国政府の援助で拡張されたものだ。赤橙の屋根がつつましく並ぶ中心部をしのぐほど広い。降りてみると、隣に中国の海南航空機がとまっている。深圳から来た便だ。中国とは雲南省・昆明や景洪、湖南省・長沙、海南島などとも直行便で結ばれている。 世界遺産の町への玄関口、ルアンプラバンの空港。中国が拡張を支援した=2019年2月21日、ラ
店の前に立つ栗原直次(右)・みどりさん夫妻。店名は「栗原」を中国語読みし、リーユアン・ミーポックと名付けた=守真弓撮影 日曜日の午後2時すぎ、ランチタイムが終わって閑散とするシンガポール西部の屋台街に、まだ20人ほどの行列が並ぶ店があった。日本人の栗原直次・みどりさん夫妻が切り盛りする地元の麺料理の屋台、「栗原ミーポック」だ。舌の肥えた人が多く、飲食店の流行りすたりが激しいといわれるシンガポールで、5年近くにわたって行列の途切れない人気が続いている。 ミーポックはきしめんが縮れたような太麺に、ほんのりお酢をきかせたタレを絡めてたべる郷土料理。朝ご飯に食べる人もいれば、昼食や夜食、おやつに食べる人もいる。チキンライスと並びシンガポールの誇るソウルフードだ。中国由来だが、シンガポールでは1950年代に元祖「アラムミーポック」が開店し、同店からのれん分けをした名店が次々と生まれ、独自のローカルフ
芝園団地のゴミ置き場には、日本語、中国語、英語の表記がみえる Photo: Ikenaga Makiko ■「妻が外国人で」と切り出すと「申し訳ありません」 ああ、いまでもあるんだなあ。「外国人不可」。 最近、都内の不動産業者の男性に話を聞いたとき、見せてもらった物件資料にあった言葉だ。いまも「外国人不可」という賃貸物件は多いと聞き、かつて何度も、入居を断られたことを思い出した。 私は1990年代から2000年代の10年間、外国人の配偶者と日本で暮らした。いまは別れて別々の国で暮らしているが、当時、日本に住む外国人がどんな体験をするか、家族の一員として日本社会の現実を垣間見た。 直面した一つが、部屋を借りるという「壁」だ。 結婚前、東京に住んだ彼女の部屋探しを手伝った経験から、外国人が部屋を借りることの難しさはわかっていた。当時、外国人可のアパートを留学生に紹介する公的な斡旋所のようなもの
■圧力もうまく使うなら 日本のある大学に通う3年生の学生は、ブラジルの軍事政権期について学ぶうちに、軍事政権にも見習うべき点があると考えるようになったという。「軍事政権というと、軍部が市民に圧力をかけるイメージだったけど、ブラジルの場合は逆に、それによって平和と安全がもたらされたといわれています。圧力もうまく使えば、治安の安定につなげられるのではないかと考えました」 ブラジルでは軍事クーデターが起きた1964年以降、軍部が政治の中枢を握った。しかし、70年代前半までに「ブラジルの奇跡」と呼ばれる高度経済成長を実現。軍部が反対勢力を抑え込んで資源開発など重要な国家主導型プログラムを推進し、治安を安定させたことで海外企業の進出や融資を呼び込めたとされる。軍部が民間からテクノクラート(高度な専門知識と政策能力を持つ技術官僚)を重用したことも大きいといわれる。 【もっと知りたい】 「独裁」という新
■仕事がないとリズムが崩れる 古賀さんが「週末うつ」に着目しはじめたのは5年以上前のこと。診察に訪れる患者に、いままであまり見られなかった症状を訴える人が少なくないことに気づいた。「一定のリズムで過ごしているうちは問題がないのに、気の毒なことに、休みが挟まるとかえって不安になったり、体調が悪くなったりするのです」。仕事を中心とした毎日の生活のリズムが崩れると、本来は楽しいはずの週末に消極的になり「引きこもり」のようになってしまうという。この人たちは、よほど仕事好きなのだろうか? だが、症状を訴える人たちの話を聞くと、決して「仕事が大好き!」というわけではなかった。むしろ「仕事自体はつらいのに、そのつらい中にいないとかえってひどい状況になってしまう」という人たちが多い。彼らに共通していたのは、まじめできちょうめん、人つきあいに気を使うといった傾向があること。「大多数が仕事している中にいると安
2016年1月、サウジアラビアの首都リヤドで朝日新聞記者のインタビューに応じたジャマル・カショギ氏=渡辺淳基撮影 おおかたの日本人にとって、サウジアラビアといえば世界最大級の産油国で、とんでもないお金持ち、といった印象だろう。 2016年3月にサルマン国王が来日したときも、1000人の随行団が10機の飛行機に乗ってきたとか、80歳を過ぎた高齢の国王のためエスカレーター付きのタラップを運んできたとか、高級ホテル1000室を占領して500台のハイヤーをチャーターしたとか、その富豪ぶりが面白おかしく報じられた。 ところが、実はサウジはそこまで裕福ではなくなっている。1980年に3万6000ドルを超えていた一人当たり実質GDPは、2017年では2万ドル強にまで下がった。 理由は人口の増加だ。80年の930万がいまや3300万と3倍以上になった。その6割以上が34歳以下の若い世代だ。 膨大な石油収入
入手は簡単、でも使うのは…… ビットコインを買うのは簡単だった。 手続きを始めたのは、購入日の1週間前。スマートフォンに仮想通貨交換所のアプリをダウンロードし、そこから免許証の写真などを登録。数日後、確認用のはがきを受け取ると取引できるようになった。 4万4572円で、0.06BTC(ビットコインの単位)を購入。金融商品の保有には社内の規制があるが、今回は取材として認めてもらった。通貨として使ってみるためだ。 ところが、すぐに心境の変化に気づいた。なかなか使う気になれないのだ。 最初は、それまで値上がり傾向にあったので「もう少し上がらないかな」と使うのをためらった。すると逆に相場は落ち込み、初日から5日で5千円の含み損に。今度は「いずれ元に戻るのでは」と思えて使う勇気が出ない。 朝夕の相場チェックが日課になり、ようやく買い物に行ったのは、7月18日だった。相場の戻りを見て、東京・JR有楽町
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