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noteに関するdisappear9803のブックマーク (10)

  • 「生きてるだけで偉い」をめぐる議論|Suzuki

    少し前に、「『生きてるだけで偉い』のミーム化」という題のnoteを書いたところ、有難いことにこれが比較的反響の大きい記事となって、Twitterのリプライや引用リツイートでも様々なご意見をいただきましたので、自分の立場を明確にした上で、改めてこのnoteで考えを整理してみたいと思います。 ✱     ✱     ✱ ・・・・・・と、このあと実際に議論をまとめて、意見を整理して、いくつかも読んで、そこから引用して、という風に7000字ほど書き進めたところで、途端にくだらなくなって全部消してしまった。 「この意見は面白いですね」「これはすごく妥当性のある指摘ですね」「いや、これはこういう意味で、これはこうで、でもあなたの主張にも一理あって……」。批判を恐れて、自分の中立性を示しただけの文章のなんてつまらないことだろう。 わざわざこんな挑発的なnoteを書いたのは何のためだったか。多くの人に、

    「生きてるだけで偉い」をめぐる議論|Suzuki
  • 自分に優しくするって、こういうことか。|飯田さくら@生きづらさ改善コーチ

    生きづらさから脱却するには 自己肯定感をあげること それには自分を受け入れてあげること 自分を大切に扱うことが大切だと言われていますよね。 わたしもその考えには賛成だし、常に心がけたいと思っています。 でも、「自分を大切にする」ってどういうことなんでしょう?? 先日、日常生活でふと「あ、こういうことか。」と腑に落ちた出来事があったので、紹介しようと思います。 あなたは洗濯って いつやってます? 私は洗濯は夜やる派なんですが、 その日はとても疲れていて 「はぁ、今から洗濯始めたら干し終えるまでに1時間半かかるのかぁ。 面倒くさいなぁ、早く寝たいなぁ。」という気分だったんです。 以前のわたしだったら、 ①「面倒くさいけど、仕方ない。やるしかないしな…。」 と無理してやりきる ②「もう今日はヤメだ!早く寝ちゃおう」と明日に先送りする の2つの選択肢しか思い浮かばなかったんですよね。 ただ、その日

    自分に優しくするって、こういうことか。|飯田さくら@生きづらさ改善コーチ
  • 【人生は自分とのデート】2024年のデートプラン(プランシート無料配布中)|ドリゼラ

    長い間、 自分のこころと、身体と、生活を慈しむなんて、 身の程知らずだし、自分には似合わないことだと思っていました。 そういうのは、雑誌に出てくるようなきれいなモデルさんや、 丁寧な暮らし系インフルエンサーがやるものであって、 わたしには、そんなことをする価値はないと信じていました。 それが、セルフケアやトラウマケアに励み、 「安心しても死なない」 「自分を大切にしても怒られない」ということを学ぶにつれ、 少しずつ、自分の暮らしを大切に思えるようになりました。 そうして気づいたのは、「人生は自分とのデート」だということです。 人によって感じ方の違いはあるとは思うのですが、 少なくともわたしにとっては、この表現が一番しっくりきています。 世間一般で認められる「成功」を闇雲に追い求めるのではなく、 彼女を(=自分を)どうやって喜ばせよう? どんな景色を見せてあげよう? どんなふうに支えてあげよ

    【人生は自分とのデート】2024年のデートプラン(プランシート無料配布中)|ドリゼラ
  • 「毎日5分ずつ」を積み重ねていたらやりたいことが全部できるようになった|F太

    最近、毎日散歩と筋トレをし、帳簿(家計簿)をつけて、洗濯をしている。 遠く離れて暮らす祖母に手紙を書き、noteを更新し、会社の新しいプロジェクトのために、数字を分析している。 プログラミングの勉強も始めた。 細々としたもやもや、細くないもやもや。気になることは相変わらず沢山ある。でもいまは、ひとつひとつにしっかり対処できている実感がある。 ずいぶんと整ってきた。 一体、何が良かったんだろうかやりたいことを全てやることにしたのがよかった。 というより、やりたいことを全てやれるシステムが整ってきたので、やりたいことを毎日全てやれるようになってきた。 様々な問題を放置せず、やろうと思っていることを先送りにせず、日々向き合い、少しずつ前に進めていくためのシステムが、ようやく組み上がり、機能しはじめているのだ。 例えば、お金の管理毎年、年明けに確定申告で焦るのがたまらなく嫌だった。今月いくら使った

    「毎日5分ずつ」を積み重ねていたらやりたいことが全部できるようになった|F太
  • 毒親から受けた心の傷を直視してみた|シマトネリコ | 毒親デトックス

    一年半ぶりのnote投稿になります。お久しぶりです。 投稿していない間も読んで下さった方がたくさんいて驚くと共に、何か少しでも参考になっていたらいいなと思いながら、閲覧の多さに喜んでいます。 特に抜毛症の記事がほかの10倍(!)ほどの閲覧数となっていて、驚きました。知らぬところで、どなたか引用してくださったのでしょうか…? ともあれ、ありがとうございます。 今日記事を書こうと思ったのには、今だからこそ書けるものを残したい、という気持ちが背景にあります。 (前回までの3記事シリーズの3つ目ではなく、申し訳ないです。そちらもおいおい書いていきます。) 親との絶縁を機に自分の人生格的に手に入れた私は、最近起きた色んな出来事を経て、なんと「逆戻り」を経験する事になってしまいました。 何への逆戻りかというと、 「親にされた事の記憶で苦しむフェーズ」 への逆戻りです。 来ならば、 毒親にされてき

    毒親から受けた心の傷を直視してみた|シマトネリコ | 毒親デトックス
  • 岡村叩きにみる正義を語る悪魔|要友紀子

    貧困問題の社会活動家・藤田孝典氏が先日4月26日に書いた記事「岡村隆史『お金を稼がないと苦しい女性が風俗にくることは楽しみ』異常な発言で撤回すべきではないかがいまSNSで激しい論争を呼んでいる。 事の発端は、ナインティナインの岡村隆史氏が深夜ラジオ番組で、「コロナ収束後にお金に困ったかわいい女性が風俗で働きに来るだろうから、そのかわいい子につくのを客として楽しみにしよう」という趣旨の問題発言をしたのがきっかけ。藤田氏は記事で、この岡村発言を徹底糾弾、政治・行政的不作為の結果として存在する風俗従事女性のバックグラウンドを物ともせずに嬉々として利用する客たちの問題性を説くとともに、性を売らないで済む社会の実現を呼びかけている。 NPO法人ほっとプラスで困窮者支援を行なっている藤田氏と私は面識はないが、Facebookで長年繋がっていて、社会活動家としてのラディカルさにおいて注目・期待してきた一

    岡村叩きにみる正義を語る悪魔|要友紀子
  • SNSはあくまで「つながるツール」。「くらべるツール」にしてはいけない|竹村俊助/編集者

    有名人や現実の世界では会えないようなスゴい人でも、ツイッターなどのSNSを使えば、簡単に「つながる」ことができます。 堀江貴文さんや落合陽一さんなどの天才や、ゆうこすさん、はあちゅうさんなどのインフルエンサーも、フォローしているだけですごく「身近に」感じられます。 ツイッターなどのSNSは世界が「フラット」になって、会社も業界も関係なく気軽に「つながる」ことができます。これはとっても素敵なことです。 でも、一方でこんな感覚に陥ることがあります。 「この人、ほんとすごいなー。それにくらべて俺は……」 「この人、めちゃめちゃいいね!がつくなー。それにくらべて私は……」 「リアルでは会わないようなスゴい人」と自分をつい、くらべてしまう。すると劣等感を抱いてしまい、この繰り返しが知らないうちに少しずつ心を傷つけていきます。 SNSがない時代であれば、くらべるといっても、職場のトッププレイヤーと成績

    SNSはあくまで「つながるツール」。「くらべるツール」にしてはいけない|竹村俊助/編集者
  • 鉄のフライパンの再生とメンテナンス|樋口直哉(TravelingFoodLab.)

    知人の家で料理をしていたところ「最近、鉄のフライパンで卵を焼くとくっつんだよね」という話が。ちょっと見せてもらいましょう。 こ、これは良くない状態です。このフライパンで調理をすれば焦げ付く事態が想像できます。その理由は表面に焦げなどの汚れが付着しているから。 そもそもなぜフライパンに材がくっつくのか、を復習しておきましょう。フライパンの表面を顕微鏡でのぞくと、目に見えないヒビや突起があります。このでこぼこがフライパンに材がこびりつく物理的な原因です。 タンパク質を加熱するとお互いに反応しあって、網状組織をつくるわけですが、この時、鍋の金属イオンとも反応します。例えば熱くしたフライパンに卵液を注ぐと、凝固したタンパク質がこの凸凹にしがみつきます。つまり「くっついてしまう」のです。 一般的な解決策は油を注ぐことです。油は温度が高いほど流動性が高くなり、隙間を埋めることができるので、注ぐ前に

    鉄のフライパンの再生とメンテナンス|樋口直哉(TravelingFoodLab.)
  • 過度な「競技化」は「愛好者」を減らす|佐藤ツトム / 𝗯𝗯 𝗽𝗿𝗼𝗷𝗲𝗰𝘁

    こんにちは。佐藤奨(さとうつとむ)です。 私は、スポーツなどのイベントプロデュースを行うケースが多く、さまざまなスポーツや様々なジャンルのコミュニティに触れることが多いです。 その中で中で感じたこと。 過度な「競技化」は「愛好者」を減らす。 今回は、陥りやすい、競技のコミュニティの傾向、「愛好者」と「ガチ勢」で起こりやすい話について掘り下げてみる。 過度な「競技化」は「愛好者」を減らす 過度な「競技化」は「愛好者」を減らす。とは、よく言われるフレーズ。例えばだが、固有名詞を出してしまって恐縮だが、ラジコンを、なんとなく好きでコースで走らせていたら、めっちゃウマい人が来て、そのコースで激走させ続けたら、なんとなく楽しんでいた初級者が、急にやりにくくなるなるのに近い。 「すべてのジャンルはマニアが潰す。」という似たフレーズもある。(こちらは、ブシロードの木谷高明氏の言葉) 実際に、こういうこと

    過度な「競技化」は「愛好者」を減らす|佐藤ツトム / 𝗯𝗯 𝗽𝗿𝗼𝗷𝗲𝗰𝘁
  • 早く本人に伝えないと、と、ボクは焦る|さとなお(佐藤尚之)

    まだ和田誠さんが亡くなったショックを引きずっている。 ボクの中では山夏彦さんが亡くなったときや丸谷才一さんが亡くなったと同じような喪失感である。 似たような喪失感を、山口瞳さんのときも、吉田秀和さんのときも感じた。小室直樹さんのときや黒田恭一さんのときや池田晶子さんのときも似ている。須賀敦子さんや向田邦子さんや立川談志家元のときも少し似てるかな(ちょっと違うんだけど)。 ちょっとキザっぽい言い方になるかもだけど、なんというか、必要以上に濃い闇を感じる夜、彼らは一隅を照らす灯りとして常に先を走っていてくれた。 遠くに常に「灯り」があり、絶えない光を発し続けてくれている、ということが、どれだけ前を向く勇気になっていたか、それは(情けないことに)なくしてみないと実感できなかったりするものだ。 縁起悪い話かもしれないが、ボクたちはいずれ松任谷由実もなくすし、桑田佳祐もなくす。 村上春樹もなくすし

    早く本人に伝えないと、と、ボクは焦る|さとなお(佐藤尚之)
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