「鶏頭の十四五本もありぬべし」(けいとうのじゅうしごほんもありぬべし)は、正岡子規の俳句。1900年9月に子規庵で行われた句会で出された句であり、新聞『日本』同年11月10日号に掲載、同年『俳句稿』に収録された[1]。 季語はニワトリの頭ではない方の鶏頭(秋)。「鶏頭が十四、五本もあるに違いない」ほどの意味で[2]、一般に「病に臥せていた子規が病床から庭先の鶏頭を詠んだ句だ」と考えられている。 元来評価の分かれている句であり、昭和20年代にはこの句の評価をめぐって鶏頭論争と言われる論争が起こり[3]、以後も現代に至るまで俳人や歌人、文学者の間でしばしば論議の対象となっている。 ケイトウ この句はまず1900年9月9日、子規庵で高濱虚子などを含む計19名で行われた句会に出された。子規の病床で行われた例会は次回の10月14日を最後に行われておらず、以後も死去の年である1902年の2月上旬に一度