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ブックマーク / reki.hatenablog.com (50)

  • 歴ログは10周年ですがnoteに引っ越します - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    歴ログは「はてなブログ」での活動を停止します 「はてなブログ」にある「歴ログ-世界史専門ブログ」は2024年3月をもって完全に活動を停止し、noteにコンテンツを移行していきます。 また、noteでは新たな領域のコンテンツ発信を行なっていくつもりです。 歴ログの歩み 「歴ログ-世界史専門ブログ-」は、2014年8月、「はてなブログ」でスタートしました。 当時はネット上にテキストで気軽に読める世界史のサイトは数少なく、エンタメとアカデミックを混ぜたコンテンツには需要があるのではという狙いがありました。 マネタイズだけではなく、社会課題的な目的もあります。私は元バックパッカーなんですが、若い人が海外に関心を持たなくなって内向きになっているなと危機感を感じていました。もっと海外への関心を持ってもらいたいという思いが強くありました。それは今でも根強くあって、10年間発信を続けられた原動力の一つです

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  • 『琉球王国は誰がつくったのか』沖縄は海賊の島だった? - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    琉球王国形成の典型イメージを変える一冊 『琉球王国は誰がつくったのか 倭寇と交易の時代』(七月社 吉成直樹 著)を読みました。 文字通り沖縄の琉球王国の成立に関する著作です。 従来は、琉球王国は沖縄土の農業社会の発展によって力をつけた支配者が、山北、中山、山南の三王国を形成し、最終的に中山の尚氏が統一を果たすと考えられてきました。 しかし書によると、琉球王国は倭寇の大きな影響力のもとで成立した国であり、王族の尚氏も日からの移住者、具体的には肥後の佐敷、現在の熊県芦北町からの移住者ではないかという説が述べられています。 さらに、王国の成立には中国政治環境が大きく関わっていたことも詳しく述べられており、琉球王国や沖縄の歴史を知る上で新たな発見があるではないかと思います。 1. 琉球列島は倭寇の影響下にあった 琉球王国の王族は熊からの移住者説 14世紀初頭から沖縄島には山北、中山

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  • パッタイの歴史 - 人工的に作られたタイの国民料理 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Terence Ong 「タイの国民料理」という使命を持った人工的国民 タイ料理の定番であるパッタイ。 歴史は古くなく、誕生したのは1940年ごろのことです。パッタイは時の権力者により、明確な政治的意図をもって作られ広められた料理です。パッタイ(Pad Thai=タイ炒め)という名前が象徴するように、その成り立ちや拡がりの過程は非常に近代的かつ人工的であります。 1. パッタイとはどんな料理か スーパーマーケットでもガパオライスやトムヤムクン、グリーンカレーといったレトルト品が並び、タイ料理は市民権を得て、いまや日人の日常の一部となっています。 パッタイもスーパーのお惣菜に並ぶほどですが、特にこだわりがないお店だと、「タイ風の味付けをした焼き麺料理」は全部パッタイと呼んでしまう傾向があるようです。ですが、タイの焼き麺料理はパッタイだけではなく、色々種類があります。

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  • 「反捕鯨」の国際世論はどのように形成されたか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    「可哀想」「環境破壊」だけではない、反捕鯨世論構成の歴史 捕鯨問題は日が欧米諸国と感情的に対立するテーマの一つです。 欧米側は、鯨は絶滅寸前であり捕獲は自然破壊であるし、そもそも鯨は知性のある生き物であるため捕獲するのは非人道的であると主張します。 一方で日側は、シロナガスクジラなど希少な鯨以外は増加しており、捕鯨は自然破壊にはまったくあたらないし、捕鯨文化は日の伝統であるため止めることは文化の破壊であると抵抗します。 様々な思惑が交錯する捕鯨問題はなぜこじれたのか、その歴史を整理したいと思います。 1. 資源としての鯨 昔から世界中の漁民の間で鯨漁は盛んでした。 伝統的に鯨を捕獲してべることで知られるのは日人、北米先住民、アイスランドやノルウェーなどノルディックの人々ですが、他にも捕鯨文化は広く存在します。 インドネシアのスラウェシ島東部・レンバタ島南海岸のラマレラ村には、伝統

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  • 2020年に読んでおもしろかった本10冊 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    歴史に残る2020年」に読んだものたち 2020年もそろそろお終いです。 今年は新型コロナの影響で 在宅時間が増えて、読書時間が増えた人も多かったのではないでしょうか。そんな私は図書館にしばらく行けなくて、ネット書店でのお取り寄せ頻度が去年比で2倍以上になりました。 図書館にあるやや古いではなく、比較的新しく出たを読む機会が増えたわけです。せっかくですので、2020年に読んだで面白かったものを10冊紹介してみます。 1. 『タイのかたち』 赤木攻 めこん  2019/10/25 ¥2,750 このは今年の1月に書評を書きました。 タイトルの通りタイ王国の歴史に関するなのですが、一般的な通史ではありません。 いかにタイという国が多民族な国家で、異なる地域の集合体であるかが強調され、それゆえ近代以降に歴史文化を「創り上げる」必要があったかが説明されています。 普通に通史を読むだけ

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  • 中東の伝統料理「フムス」をめぐる歴史と戦争 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Paul Goyette 愛ゆえに人は苦しまねばならぬ、愛ゆえに人は悲しまねばならぬ フムスという料理をご存じでしょうか。 トルコ料理やシリア料理などでメゼ(前菜)として出される料理の一種で、ひよこ豆のペーストにタヒニ(ごまペースト)、にんにく、オリーブオイル、レモン汁を加えたもの。 中東圏を中心に、バルカン半島や東地中海沿岸地域でよくべられています。 中東ではあまりに愛されすぎて、民族主義と結びつき、「フムスは我々のものだ」としてアラブ人とユダヤ人の間で抗争が繰り広げられています。 1. フムスとはなにか フムスは、ホムス、フンムス、ホンムスなどと言われることがあります。 どの呼び方でも基の作り方は同じで、 ひよこ豆のペーストにタヒニ(ごまペースト)、にんにく、オリーブオイル、レモン汁を加えてペースト状にしたものです。 レシピは非常にシンプルですが、豆の煮る時間、ペ

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  • 【2020年9月版】世界史関連の新刊50冊 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    2020年6月〜2020年9月の世界史関連の新刊の紹介 新型コロナウイルスの影響で各社延期していたのが一気に出たのか偶然かは分かりませんが、今期は世界史関連のが多かったです。いつもは30冊の紹介ですが、今回は50冊紹介いたします。 この記事ですが、ブックマークしてメモ代わりに使ってもらえるといいと思います。ぼくも大型屋に行ったときは、この記事を見ながら探しをしています。 それでは参ります。 1. 『岩波新書〈シリーズ 中国歴史〉 5 「中国」の形成 現代への展望』 岡隆司 著 岩波新書 2020/7/17 「中国」の形成 現代への展望 (シリーズ 中国歴史) 作者:岡 隆司 発売日: 2020/07/18 メディア: 新書 さまざまな勢力が併存、角逐する一七世紀。そのカオスを収拾し、東アジアに君臨した清朝の「盛世」から、多元共存システムがほころびをみせる一八世紀。西洋の衝撃、

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  • 第二次世界大戦時の「敵性民間人」強制収容 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo credit: Central Archive of the Republic of Karelia 世界中にあった民間人強制収容 第二次世界大戦中の強制収容所と言えば、ナチス・ドイツによるユダヤ人強制収容所がよく知られています。 ナチス・ドイツはユダヤ系住民を国内から追放しマダガスカルに移住させようと試みますが失敗に終わったため、強制収容所に送り込んだ上で根絶させる政策を実行しました。 このような特定の人種集団の絶滅を図るのは悪辣極まりなく、いくら糾弾してもし足りないほどです。 一方で、枢軸国のみならず連合側の国にも強制収容所はあり、自国内の「敵性国民」が敵国と通じて攪乱や暴動、スパイ活動を行うことを防ぐため、有無を言わさず強制的に送り込まれるケースが多くありました。 1. 日系アメリカ人強制収容 社会の根強い人種差別が反映された政策 アメリカにおける日系人・日人移民に対す

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  • 白旗の歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    戦場で掲げられる「白旗」の意味とは 戦場で「白旗」を掲げた歴史は、古くは古代ローマ時代の書物に記述があります。また、漢の時代の中国でも白旗が使われたという記述もあります。 近代からは国際ルールとして「白旗」の使用が定められました。 今回はもっともシンプルな意匠である白旗のシンボル的な意味を中心にまとめていきます。 1. 白旗の意味 古代から戦場で「白い布」を掲げることは「戦闘の意志なし」を意味しました。 第二次ポエニ戦争中、カルタゴ土に侵攻したスキピオ率いるローマ軍は、「白いウールとオリーブの枝」を掲げた敵船を発見。哀れに思ったスキピオは船のカルタゴ兵10名を捕虜としたそうです。また、ローマ内戦時の69年の第二次ベドリアクムの戦いで降伏した将兵が白旗を掲げたとローマの歴史家タキトゥスが記録しています。それ以前はローマ軍団兵は降伏する時には盾を頭に乗せていたので、紀元後1世紀付近で普及した

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  • マーガリンの歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    驚くべき進化を遂げた「バターの代替品」の歩み マーガリンが植物性だということはご存じだと思います。 安いし植物性だからという理由でマーガリンを買う方もいるでしょうし、トランス脂肪酸が体に悪いと考えて意図的に避けている方もいると思います。 マーガリンは「バターの代替品」という出自もあって、長年酪農産業やバター産業からの攻撃や規制を受けてきたし、消費者からも疑惑の目を向けられてきました。 しかし絶え間ない技術革新と進化により、確実に消費者によって信頼され市場を形成してきた歴史があります。 1. マーガリンとは Photo by SpooSpa マーガリンとバターは見た目も味も似ていますがまったく異なります。 バターは乳脂肪を撹拌し固形化させたもの。一方マーガリンは植物性の油を練り合わせたもの。コーン油、大豆油、紅花油など味に合わせて様々な種類の油が用いられています。 乳製品っぽい味がしますが

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  • 『タイのかたち』書評 タイという正体不明の国を解剖する - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    タイという国の謎が解ける ぼくは世界中の国の歴史文化に興味があるのですが、配偶者がタイ人ということもあり、タイは他人事じゃないというか、放っておけないところがあります。 ですが、いくら学んでもタイは掴みどころがない。歴史的にも文化的にも、ハッキリとした輪郭が見えづらい印象がありました。それは嫁や知り合いのタイ人と交流しても同じで、いろいろな情報のピースはあるも、それがパズルにカチっとはまらない気がしていました。 で、今回紹介する書です。 「タイのかたち」(赤木攻著, めこん)はそんなぼくのモヤモヤの大部分を整理してくれました。東南アジアクラスタに限らず、歴史政治に関心のある多くの方が楽しめ学びがあるだと思います。 装丁のラームカムヘーン王碑文 書を手に取ると、まずは異色すぎる装丁に目がいきます。 画像や背景色すら入れず、スコータイ王国第三代国王ラームカムヘーン王が記したと言われ

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  • ハワイの歴史 - ハワイ統一からアメリカ併合まで - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Lux Tonnerre 独立ハワイ王国はどのようにしてアメリカに併合されていったか 観光でハワイのオアフ島を訪れた方は、 ホノルル中心部にあるカメハメハ大王像を訪れたことがあると思います。 皆なんとなく、カメハメハ大王という偉大な王が出てハワイを統一したけど、なんだかんだ色々あってアメリカに統合された、くらいのざっくりした歴史しか知らないと思います。 今回はハワイがアメリカに併合されて一州になっていく過程をまとめていきます。ハワイ旅行に行くときの予習にどうぞご覧ください。 1. ジェームズ・クックによるハワイ発見 ポリネシア人がハワイに移住したのは8〜9世紀ごろと考えられています。移住元はマルサケス諸島やタヒチで、ハワイの文化はこれらの文化と共通のものがあります。 その代表的なものが、「まれびと信仰」の一種と言える「マカヒキ」です。 マカヒキとは1月に祝われる祭りで、ロ

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  • 下層民が救済を求める「千年王国運動」の事例 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    ヨーロッパ、南米、南アジアの千年王国運動 前回の記事では、千年王国運動の起源と世界中への伝播について説明しました。 まだご覧になっていない方はこちらからどうぞ。 今回はいつどのような背景で、どんな運動が起こったかを具体的に説明していきます。 なお、以下に挙げるのはかつて発生した千年王国運動のごくごく一部であることをご承知おきください。 1. ミュンスターの反乱(ドイツ) 再洗礼派によるミュンスターの支配 再洗礼派(アナパブテスト)は、カトリックやプロテスタントの幼児洗礼を批判し、成人した後の信仰告白による洗礼を行う一派です。幼児洗礼を受けた人物は、再度成人後に洗礼を受けさせるため、再洗礼派と呼ばれます。 宗教改革の流れを受け、1533年2月、カトリックのミュンスター司教の抵抗を退け、ミュンスター市に福音主義体制が確立しました。するとすぐに、市の説教師ロートマンとその仲間が幼児洗礼を批判し始

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  • 大量の死者を出した世界史の爆発事件TOP10 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    千人万人単位の死者を出した記録的な爆発事件・事故 工場や船舶・航空機が大爆発を起こして炎上、犠牲者十数名といったニュースは、国内・海外問わず目にするニュースです。 火薬を入手して以降の人類の歴史は爆発事故の歴史でもあります。当然、戦争中の大爆発が多いのですが、火薬を保管する倉庫や、薬品を取り扱う工場、輸送中の列車が爆発するといった事件・事故も数多く起こりました。 今回は千人・万人単位の死者を出した世界史の爆発事件・事故をまとめていきます。 なお、広島・長崎の原爆については、カウント外としました。 10位:アントワープ包囲戦 1585年(オランダ) オランダ兵の攻撃で約800人のスペイン兵が死亡 ネーデルラント17州がスペインから独立を果たした八十年戦争(オランダ独立戦争)の戦いの一つであるアントワープ包囲戦で爆発攻撃が実施されました。 1585年4月4日、アントワープを包囲しようとするスペ

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  • 寿司の歴史 in アメリカ - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    アメリカで寿司はどのように受容されていったか 海外旅行に行くと、大都市はおろか小都市でも簡単に寿司レストランが見つかります。好奇心で行ったことある方もいらっしゃるかもしれません。味は、まあ、ピンキリでしょう。 アメリカでも小さなほうの町のスーパーでも寿司が売っていて、その浸透ぶりが伺えます。しかし必ずしも日の伝統方式とは限らず、カリフォルニアロールだったりキャタピラーロールだったり、独自のローカライズがなされていて、「江戸前鮨至上主義」の人は怒り出すかもしれません。今回はアメリカでいかに寿司が紹介され、受容されたかをまとめていきます。 1. 日系人が持ち込んだ寿司 アメリカに寿司が初めて上陸した月日は明確に分かっていませんが、1900年代前半には日系移民によって西海岸に持ち込まれていたと考えられています。 初めて寿司をべたアメリカ人の記録は、1904年8月18日、ロサンゼルス・ヘラルド

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  • なぜアップルパイはアメリカを象徴するお菓子になったのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    アメリカ人の愛国心を熱くする甘いリンゴのお菓子 1902年、ニューヨーク・タイムズ紙に以下のような文章が掲載されました。 (アップル)パイは我が国の強さと優れた産業創設、我が国の繁栄の秘訣である。英雄のべ物である。わないヤツは永久に負け犬である。 Pie is...the secret of our strength as a nation and the foundation of our industrial supremacy. Pie is the American synonym of prosperity. Pie is the food of the heroic. No pie-eating people can be permanently vanquished. かなり強烈な文章ですが、アメリカ人の愛国心と素朴な感情をよく言い表しています。 アップルパイを上手に焼け

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    doycuesalgoza
    doycuesalgoza 2019/10/08
    食べたくなってきた
  • トイレの中で死んだ歴史上の偉人たち - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    安心できる場所であり危険な場所でもあるトイレ 越後の龍こと上杉謙信が春日山城の厠で倒れ、そのまま息を引き取ったことは有名な話です。トイレは部屋よりも温度が低く気温差によって発作を起こしやすいし、1人になるので発見も遅れるためか、現代でもトイレで死亡する人は多いです。まして温便座などない昔のこと。火鉢で火を起こすくらいはやったかもしれませんが、死亡者は多かったはずです。 加えて、トイレでは1人になる上にあまり身軽に動けない場所なので、暗殺するには絶好のタイミングだったはずです。 今回は「そうだったという説もある」というのも含めて、トイレで死んだとされる偉人たちを紹介します。 1. 晋の景公 新麦をべる前に死ぬという巫女の予言 晋は紀元前7世紀ごろの春秋時代に中原の覇者となった国ですが、紀元前6世紀の景公の時代に衰え、覇者の座を南の楚に奪われていました。 景公の死のエピソードには「新麦の予言

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    doycuesalgoza
    doycuesalgoza 2019/09/17
    ひぇーっ>“バークレイ城のトイレで焼けた金属製の棒を肛門に突っ込まれ苦痛のあまり死んだ”
  • 近現代ラテン・アメリカの国家間戦争(後編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    アメリカの影が濃い20世紀のラテン・アメリカ戦争 近現代のラテン・アメリカの国家間戦争のまとめの後編です。 19世紀の戦争は、スペインとポルトガルの植民地時代に種がまかれたものが独立後にも受け継がれ、時の有力者や党の争いと混じって先鋭化し衝突に至ったケースが目立ちます。前編はこちら。 今回は主に20世紀の戦争をまとめていきます。 9. 太平洋戦争(ペルー&ボリビア vs チリ) 軍事強国チリがボリビアとペルーを圧倒した戦争 チリとボリビアの国境近くにあるアントファガスタ県は、硝石や銅などの鉱物が大量に眠る地域で、長年両国間の係争地でした。1866年に国境協定が結ばれ、南緯24度を国境として北をボリビア、南をチリが折半すると決められましたが、チリ・イギリス系の採掘会社がこの地域に進出し、ボリビアは警戒感を強めました。 一方でペルーのタクナ県、アリカ県、タラパカ県の硝石地帯にもチリ・イギリス

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  • クスクスの歴史 - 謎が多い極小パスタの起源とは - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Khonsali まるで炊き込みご飯みたいな出汁の効いた極小パスタ クスクスとは、北アフリカで生まれた極小パスタ、またはそれを使った料理を指して言います。 写真の見た目はご飯に見えますが、ご飯粒よりもっと小さいパスタ。しかしべた感覚はご飯といった感じで、茹でた肉や野菜のスープでじっくり蒸し上げたクスクスは、ちょっとスパイスが効いた炊き込みご飯といった味。 他にも、サラダにしたりスープに入れたりと、おしゃれで便利な材ということでじわじわ広がりつつあります。 しかしその起源はよく分かっておらず、謎の多いべ物なのです。 1. クスクスとはなにか クスクスはデュラム小麦に水を混ぜたものを、極小サイズに形を整えて乾燥させたものです。 昔はこれは手で作られていましたが、現在はほぼ機械で作られています。 小麦粉に少量の水を加えて乾燥させ、できた固まりやダマを粗い目の金網の上でワイ

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  • 「金髪女はバカ」という偏見はなぜ生まれたか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    金髪女はIQが低く、ルックスしか興味がないという偏見 欧米では「Dumb Blonde Jokes」というのがあります。 直訳すれば「バカな金髪ジョーク」というものです。例えばこんなものです。 赤毛女が金髪女に言った 「この間ブラジル人と寝ちゃってさ」 「まあ、あなたったらなんてふしだらなの。ところでそのブラジルジンって人は何人なの? 金髪がジグソーパズルを完成させるのに半年かかったが自慢げだ 箱を見ると「2 to 4 years」と書いてあった Q.頭の良い金髪の名前を挙げよ A.ゴールデン・レトリバー これはあくまで一例で「金髪女はIQが低い」とか「ルックスしか興味がない」などといったステレオタイプを信じる人も大勢いて、そういった偏見がネットの世界でも大量に流れています。 そのようなステレオタイプはとんでもないデマとすぐ分かるものですが、なぜこのような偏見が根強く残っているのでしょうか

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