環境問題と人口衰弱 竹内幹: 実は、人口が減ると分かったのは1974年のことです。この年、合計特殊出生率(※編注)は人口を一定に保つために必要な水準(2.1)を初めて下回りました。しかし、その後15年間、人口減少への有効な手は打たれませんでした。1990年、前年の合計特殊出生率が史上最低となった「1.57ショック」が起こり、初めて少子化が社会問題として取り上げられました。ところが、ここでも政府は対応しませんでした。そして2005年、日本の人口は減少に転じてしまったのです。 対応しなかった1つの理由は、社会を動かしてきた男性中心の権威主義が、女性や子どもの問題を軽視してきたからです。男女雇用機会均等法成立の中核を担った赤松良子氏(当時、労働省婦人局長)は、1983年に当時の経団連会長と面会し、女子差別撤廃条約への批准と、男女雇用機会均等法成立への協力を求めたそうです。すると、当時の会長は「(