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2008年10月10日のブックマーク (3件)

  • いかにして俺が女性を信じなくなったか

    高校までは当に女の子大好きだった。イケメンじゃないけどそれなりに頑張ってかっこつけて、何人かと付き合ったりもした。 大学の時、すごく素晴らしい女性に出会った。かわいいし、気だてもいいし、頭もいい。その子(A)は当時彼氏がいたんだけど、俺は未だかつてないほど女性と一緒にいたいと思った。何度か友人と一緒に遊んだりして少しずつ親しくなっていった。 そんな状態が2年弱続いたある時、Aが彼氏の行動(浮気みたいなもの)が原因で別れたこと、そしてその彼氏と付き合ってた時に俺のことを好きになってしまっていたということを俺に告白してきた。俺は有頂天になってしまって猛烈にアタックし始めた。しかしAはまだ元彼と別れたばかりだし、俺にも浮気されるような気がして恐い、という理由で俺とは付き合ってくれなかった。俺はその時は「時間が解決するだろ、待つしかない」と思っていた。 そして更に半年ほどして、その子は卒業して就

    いかにして俺が女性を信じなくなったか
    dsl
    dsl 2008/10/10
    品性下劣な人間は猫かぶってもいつかボロが出ると思うんだけど、増田は恋に目がくらんでいたのだろうか?/まあ俺にわかるわけないですが!
  • すべての非モテは恋愛強者である|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    そもそも、恋愛に相手は要らない。相手に左右される恋愛など不純ですらある。 今更な話かもしれない。が、ともかくすべての恋愛は独り相撲である。だから「最高の恋愛は片想い」なんてことがいわれる。或いは、「恋する自分に恋する」だとか。要するに、恋愛とはそういう娯楽なのである。悪い意味でいっているのではない。妄想力さえあれば誰でも参加可能な素晴らしい娯楽だとさえ思う。そんなことはない、非モテは辛いのだ。そう思う向きもあるかもしれない。そう、辛い。むしろ、それこそが恋愛丸である。いや、幸せな恋愛というのもあっていい。けれども、より娯楽性が高いのは辛い恋なのだ。恋愛物語の傑作は失恋の物語と決まっている。 合コンで知り合って、なんとなく付き合ってはしっくりこずに別れる。そんなことを繰り返すリア充は恋愛弱者である。彼らの別れは失恋ではない。そこには胸を裂くような慟哭も、涙を涸らすカタルシスもない。失って

    dsl
    dsl 2008/10/10
    俺強者!!!
  • 「マリア様がみてる」を読むことができない。

    昨日、屋へ行くと「マリア様がみてる」の新刊が置いてあった。 まだ続きが出ていたんだな。 もう読む気すらしないけど。 この作品を知ったのは、何年前だったのだろうか。 教えてくれたのは大学の後輩のMさんだった。 飲み会の席で隣になったとき、 「マリみて」がいかに素晴らしいのか。 女同士の関係の微妙さ、質をいかにえぐっているのか。 それをやたらと力説していたのを思いだす。 その翌日、とりあえず第1巻目を買い求めた。 Mさんは、女の子が好きな女の子だった。 彼女には中学時代から片思いしているAさんという相手がいた。 そして僕はMさんが好きだった。 女が好きな女ってどんな心理なんだろう。 そんな好奇心で「マリみて」を手に取った。 それからいろいろあって、 僕はMさんに告白。 OKをもらって付き合い始めた。 そして、数ヶ月後、別れ話を持ち出された。 理由は分かっていた。分かっていたのに、 「そうか

    「マリア様がみてる」を読むことができない。
    dsl
    dsl 2008/10/10
    パラソル以降どんどん質が落ちてうんぬんという愚痴かと思ったら全然違った。