歴史と科学に関するe_tackyのブックマーク (7)

  • 古文書の「くずし字」、精度8割で判読 凸版印刷 - 日本経済新聞

    凸版印刷は江戸時代までに書かれた書物や古文書の「くずし字」を自動で判読し、電子テキストデータに置き換える技術を開発した。8割以上の精度で判読することができるという。今夏から試験的な解読サービスを始め、2016年度中に大学や博物館などに格的に売り込む。くずし字は楷書とは異なり簡略化した文字を連ねていくため、一文字のみでは判読できないことが多い。凸版印刷の技術では、まず、くずし字を誰でも読める文

    古文書の「くずし字」、精度8割で判読 凸版印刷 - 日本経済新聞
    e_tacky
    e_tacky 2015/07/04
    「くずし字を誰でも読める文字に置き換えるための解読用データベースを作成」「OCRで書物の字を読み込み、自動判読」「専門家の減少や資料の経年劣化などを背景に、歴史的資料の電子化のニーズが高まっている」
  • 脇本遺跡:大伯皇女の斎宮か 7世紀後半の大型建物跡発見- 毎日jp(毎日新聞)

    手前の列になった穴が大型建物の柱跡で、奥に竪穴建物跡が見つかった=2012年2月、奈良県立橿原考古学研究所提供 奈良県立橿原考古学研究所は19日、同県桜井市の脇遺跡で、7世紀後半の大型建物跡を発見したと発表した。昨年5〜8月の発掘で柱跡が見つかり、柵か建物跡か不明だったが、新たな柱跡を見つけ、建物跡と断定した。橿考研は「天武天皇の娘、大伯皇女(おおくのひめみこ)が心身を清めたとする泊瀬斎宮(はつせいつきのみや)の一部である可能性が考えられる」としている。 日書紀には、大伯皇女が673年に泊瀬斎宮で身を清め、翌年に伊勢神宮に斎王として向かったとあり、脇遺跡が斎宮の有力候補地とされる。 発掘は昨年10月〜今年2月、472平方メートルで実施。発掘済みの14の柱跡につながる4の柱跡を発見し、東西18.8メートル、南北8メートルの掘っ立て柱建物跡と分かった。過去に発掘された7世紀後半の柱列

    e_tacky
    e_tacky 2012/06/19
    奈良県立橿原考古学研究所「天武天皇の娘、大伯皇女(おおくのひめみこ)が心身を清めたとする泊瀬斎宮(はつせいつきのみや)の一部である可能性が考えられる」
  • 感動必至 - 書評 - 天地明察 : 404 Blog Not Found

    2012年05月17日00:30 カテゴリ書評/画評/品評 感動必至 - 書評 - 天地明察 ついに読んでしまった。 天地明察(文庫版上下) 冲方丁 [原著] 初出2010.06.07; 2012.05.17 文庫化に伴い更新 「面白くない訳がない」という予感は下馬評を読むまでもなく、タイトルと著者を見ただけであったので、時期を選んで読みたかったのだ。積読が出来ない私は、だから当時あえて注文しなかった。しかも物語に関しては隙間読みも不得手なので、散髪もままならない日々が続く中、作は後回しにしてきたのだ。 で、日散髪に行き、帰宅した私を迎えてくれたのが書だった。 なんとすがすがしい週末だろう。 週末。作の時代にはなかった週末。 最初にお断り。entryには主にWikipediaへのリンクが含まれるが、クリックするのは作読了後にすること。どうしてもネタバレになってしまうので。

    感動必至 - 書評 - 天地明察 : 404 Blog Not Found
    e_tacky
    e_tacky 2012/05/17
    「本書は改暦への苦難を縦糸に、そして関に体現される数学への憧憬を横軸に織られた、一大算術ドラマなのである」
  • 時事ドットコム:アインシュタイン資料をウェブ公開=8万点デジタル化−ヘブライ大

    e_tacky
    e_tacky 2012/03/21
    「資料は数式で埋め尽くされた講義ノートなど物理学に関するものから、私生活の一端を垣間見ることができる私信まで多岐にわたる」
  • 世界遺産候補の「古墳」、ただの「塚」だった : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    大阪府などが世界文化遺産登録を目指す「百舌鳥(もず)・古市古墳群」(4世紀後半~6世紀前半)の構成資産候補とされていた堺市内の「古墳」2基が、中世以降に土を盛って築かれた「塚」であることが、堺市教委の発掘調査で分かった。 2基はすでに候補から除外された。同古墳群には、日最大の「仁徳陵古墳(大山古墳)」をはじめ、周辺の87基が資産候補に挙げられているが、調査を必要とする古墳が多く、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)への正式推薦までに、さらに絞り込まれそうだ。 大阪府立大の敷地内にある「聖塚古墳」と、南西約500メートルの「舞台塚古墳」。いずれも小規模ながら、皇族が葬られた陵墓の可能性がある大型前方後円墳「ニサンザイ古墳」(5世紀後半頃)の近くに位置することから、同古墳の被葬者の臣下らが葬られた同時期の古墳とみられてきた。 このため、府などは2007年、この2基を含め、堺、羽曳野、藤井寺の

  • ウォーゲーム講義のテキスト:奥出阜義『ハンニバルに学ぶ戦略思考』(2011): Analog Game Studies

    【新作紹介】ウォーゲーム講義のテキスト:奥出阜義『ハンニバルに学ぶ戦略思考』(2011) 蔵原大 ――――――――――――――――――――――――――――― 今回は、首都大学で行われているウォーゲーム講義のテキストを紹介します。 首都大学オープンカレッジでは、元自衛官の奥出阜義講師による「MM講義」が連年行われています。MM=Map Maneuver(図上演習)ですが、簡単に言えばウォーゲーム戦争を模擬した競技)のことです。評者も2009年に参加したこの講義、毎年20名ほどの受講生を集めてきました。2011年始めに出された上記の『ハンニバルに学ぶ戦略思考』はその講義内容をまとめたものです。 ○ 「戦略の父ハンニバルに学ぶ戦略決断力 ビジネスを勝利に導く体験型MMゲーム」 しかしなぜ「ハンニバル」なのかって? それについてはをお読みになればお分かりになるかと思いますが、少し種明かしをしま

    e_tacky
    e_tacky 2011/03/24
    「首都大学オープンカレッジでは、元自衛官の奥出阜義講師による『MM講義』が連年行われています。MM=Map Maneuver(図上演習)ですが、簡単に言えばウォーゲーム(戦争を模擬した競技)のことです」
  • 大仏殿で発見の刀、1250年不明の正倉院宝物 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    奈良市の東大寺で、明治時代に大仏殿内から見つかった金銀荘大刀(きんぎんそうのたち)2が、約1250年にわたって行方がわからなかった正倉院宝物の大刀「陽寶劔(ようのほうけん)」「陰寶劔(いんのほうけん)」だったことがわかり、同寺と元興寺文化財研究所が25日、発表した。 同研究所のエックス線調査で、大刀2から「陽劔(ようのけん)」「陰劔(いんのけん)」と象眼された銘が見つかった。 「陽寶劔」「陰寶劔」は聖武天皇の遺愛品で、正倉院宝物の目録「国家珍宝帳」に記載されている。光明皇后が大仏に献納し、正倉院にいったん納められたが、外へ持ち出したことを示す「除物(じょもつ)」となり、その後存在が確認されていなかった。大刀は1907〜08年の大仏殿の修理に伴い、大仏の足元の蓮華(れんげ)座の周囲から出土していた。

    e_tacky
    e_tacky 2010/10/26
    約1250年間、所在が確認されていなかった正倉院宝物の大刀「陽寶劔(ようのほうけん)」「陰寶劔(いんのほうけん)」
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