株式会社 日経BP 〒105-8308 東京都港区虎ノ門4丁目3番12号 →GoogleMapでみる <最寄り駅> 東京メトロ日比谷線「神谷町駅」4b出口より徒歩5分 東京メトロ南北線 「六本木一丁目駅」泉ガーデン出口より徒歩7分
SF作家・山本弘のblogです。小説・アニメ・特撮・マンガから時事問題にいたるまで、いろんな話題を取り上げていきます。 HPはこちら。 山本弘のSF秘密基地 http://kokorohaitsumo15sai.la.coocan.jp/ たまにはゲーム関連のトンデモな話題など。 今度の震災で、「アメリカの人工地震による攻撃だ!」と主張するトンデモさんがいっぱい現われている。 たとえばこちらの人は、深海掘削船「ちきゅう」に疑惑の目を向けている。この船が深さ10kmでも掘れるというのを聞いて、「穴を掘って原爆を仕掛けたのではないか」という妄想をふくらませているのだ。「ちきゅう」関係者に対する中傷だと思う。 http://quasimoto.exblog.jp/14462938/ ちなみに、「震源の深さは10km」というのは初期の報道で、現在は24kmと言われている。 ところで、このページの後
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23日 今日で一旦私の医療チームは東京に戻ります。 かっこいいことを言いながら強気で踏み入れたのに 来たばかりのときは想像をはるかにこえた現状に打ちのめされました。 自分に何が出来るかなんて考える時間もなく目の前で起きていることを把握して無我夢中でやるしかなかった。 毎日モノを数えるように 増えていく死亡者数をニュースを読み上げてるアナウンサーにさえ嫌気がさしました。 1日2000人以上の受診希望者 床に寝せられ点滴を受ける患者さん 泥だらけの入院ベッドに横たわる患者さん 1人任され不安だらけの救護所 避難所での夜間の急病人 水も電気もない分娩室でのお産 受け入れ先病院が見つからない救急医療体制 備蓄のない医薬品 足りない医療機器 浸水して使えなくなったAED 全部が全部思い出せないくらい、毎日が壮絶でした。 朝からずっと走り回っていて気が付くと夜中の3時、4時ってのを毎日繰り返し。 でも
22日 私たちがここにいるのも明日がラストになりました。もうすっかり家族です。 この震災で家族を失った人たちをたくさん見てきたけど 家族って血が繋がってる人だけじゃなく一緒に涙を流せたり心に少しでも寄り添ったならもう「家族」って言っちゃっていいんじゃないかな。 だから私は避難所や病院や救護所で関わったみなさんを本当の家族のように思いながら毎日接してきました。 相変わらずまだお風呂に入れない状況。 今日は天気も悪いから仮設住宅を建ててる建設業の方たちも交代で避難所をのぞきに来てくれて どこか不備がないか見回ってくれました。 医療チームで何かお土産を置いていけないか考えて 建設業の方にも協力してもらい、足湯だけでも出来ないかという話に。 建設業の方たちも即OKをくれて材料で流しそうめん並みのたくさんの人が使えそうなのをあっという間に作ってくれました。 水が出ないから給水車まで行って水をみんなで
21日 今日は三陸の病院へヘルプに。 震災から10日が過ぎて そろそろ気をはっていた人たちも気力の限界だったのでしょう。 かなりの数のかたが体調不良を訴えて受診しにきました。 突然の災害、寒い毎日、 固い床、プライバシーのない生活、見えない明日、 体調崩すのは当たり前の状況です。 被災から逃れたのに避難所で体調を崩して入院していた高齢者が今日も亡くなりました。 毎日たくさんの遺体を嫌というほど見ても 人が亡くなるということは決して慣れることはありません。 巡視で回ったときにただ眠っている人を見ただけでも生きてる?って思うくらい、トラウマになってしまいました。 今日は適切な医療の限界から患者さんたちを盛岡や県外の病院へ転院のお手伝いもしました。 医療器具が届いたのに こういう転院はやっぱり悔しいけど、すべて患者さんがより良い治療を受けてもらうためだと言い聞かせて家族と一緒に見送りました。 今
携帯が圏外で使えなくて 不便なこともたくさんあったけど そこまで行って言葉で伝えることや 話ながら背中に手をあてたりぬくもりもたくさんあった。 連絡が取れないから待ち合わせ場所に遅れないようにみんなが早めに来たりした。 ネットも繋がらないから必要な情報が入ってこないから みんなで相談したり仲間を信じて行動した。 知りたくもない情報は入ってこないから日常を離れた気分になれた。 お金も必要なかった。 使ったのはテレフォンカードを買っただけ。 でも被災地ダイヤル回線でお金はかからなかった。 素敵なバッグもおしゃれなコートも必要ない。 あったかければなんでもいいから羽織っていた。 頭が寒かったときはハーフパンツをかぶって寝た。 私なんかより抵抗力の弱いお年寄りが寒くないようにみんなで掛け物を提供した。 自家発電が終了する夜は小さなろうそくのもと これからを避難所のみんなと肩を寄せて話した。 瓦礫の
20日 道が整備され、陸前高田にたくさんの重機が来てくれました。 そして、瓦礫を除けるとたくさんの遺体が出てきました。 遺体はトラックに乗せて運ばれて行き 早く探している人たちと会えるといいなと思いました。 また悲しみが広がりました。 瓦礫の下から昨日から復旧して電波の入るようになった携帯の着信が聞こえました。 妊婦さんの遺体が出てきたときも本当につらかったです。 何の罪もない人たちが犠牲になる現実。 人が生きていく意味が分からなくなってしまいました。 数日前まで思い出のつまった自分の家が建っていたところが道になっているそうです。 生存者がいたときのために救急セットを用意して 重機の作業を見守っていたけれど残念ながら私たちの出番はありませんでした。 ため息と涙ばかり出てきてあとはひたすら悔しかったです。 熱と食欲不振で受診した男の子と話す。 泥だらけのドラえもんの本を見せてくれました。 ド
19日夜 今夜はちょっと休めそうだったけど熱を出している人や腹痛のかたが多いので 1人ずつ救護車の中で休むことになりました。 やっぱりみんなのいる体育館のほうが寂しくないけどそんな甘えたことは私は言っていられないですね。 運転席が明るいから電気がついているのかと見に行ったら すごい大きなお月様の月明かり!! 今夜だけなのかな? 何かの現象なのかな? 毎晩こんなに明るかったらみんな少しは寂しくないのになぁ。 体育館からもお月様を見に、眠れない人たちが続々出てきて月明かりに照らされています。 ちょっと笑顔になってます! 被災地のすべての人に笑顔と幸せが降り注ぎますように。 絶対にこれ以上の悲しみは起こりませんように。 深夜便でそろそろ医療物品が来る頃かな? 梱包してくれた方やトラックの運転手さんにも本当に感謝感謝です。 明日は避難所から他県が用意した一時避難所に向かう方々もたくさんいるのでその
19日 朝から校庭がなにやら騒がしい。 トラックが続々搬入。 聞くと仮設住宅の建設に来たとのこと。 こわもてだけどめっちゃ優しいトラックの運転手さんと思わずハイタッチ! まだ優先順位での入居になるらしいけど、これも明るいニュースでした。 さっそく朝から昨日より良くなったこと見つけた!! それとDOCOMOとau災害カーが来てやっとやっとやーっと携帯から圏外の文字が消えた! 避難所のみんなも続々連絡がとれている人が。 DOCOMOのスタッフとも笑顔でハイタッチ! 超ベタベタの髪と化粧水すらつけずに過ごしてる汚いすっぴんも慣れてきました。 とりあえず残り少ないウーロン茶をティッシュにつけて顔を拭いて今日も頑張るぞー!!とスタッフと気合いを入れました。 あとは水が出るといいな。 そうこうしているうちに 昨日よりいいこと発見。 あったかい。 春の日差し。 もう寒くならないで。 そして今日から盛岡~
寝泊まりをした体育館で たった三日間でかわいいお友達が出来ました。 血圧測定や点滴に走り回る私のあとを小走りについてくる 人懐っこい6歳のかわいい女の子、瑠奈チャン。 マスクが大嫌いな子だったので マスクに全然似てないキティちゃんを書いてあげたら気に入ってくれたのがきっかけだったのかな。 夜の体育館は本当に寒いので頼るのは薄い毛布と人肌。 私の医療チームは男ばっかりだから人肌に頼ることも出来ず毎日入り口付近ですきま風と戦っていました。 電気が復旧していなかった広い体育館は例えるなら洞窟みたいでした。 ストーブも消され冷えきった真っ暗な空間。 頻繁な余震。 1人だったらどんなに怖くて心細いか。 たくさんの避難されているかたが集まっているからこんな暗闇でも朝を待つ気力に変えられるのだろうと心底思いました。 真っ暗な夜中の体育館の 寝息の中に もちろんすすり泣きの声も聞こえています。 不安なのか
気持ち、つながる (wani) 2011-03-27 22:48:27 ちょうど同じ時間帯に、北海道で「ヤシマ作戦」のポスター(ネットからおとしたそうです)が貼られているのを見て「みんな、つながってるんだ」と思っていました。 そうやって集めた(節電した)電気が、陸前高田の灯になっている! みんなの想いが届いたような気持ちになりました。 …俺たちも頑張ろう!! http://ivt.org/~quake_traffic/ 返信する Unknown (ma) 2011-03-28 07:23:59 首都圏を中心に行われている節電は被災地のみなさんのためにやっているわけではありません。 東京電力の管轄である火力発電所や福島原発が機能しなくなり電力供給量が減ってしまったことによる首都圏大規模停電を避けるための節電です。 被災地で電気が復旧したのは節電のおかげではなく東北電力のおかげです。 返信する
18日 救急患者を受け入れている病院へ。 とにかくここの病院のドクター、ナース、薬剤師、放射線技師、検査技師、栄養士、看護助手・・・ 全て震災後から不眠不休。家族や休みだったスタッフの安否さえ分からないまま、 極限の精神状態で仕事をしていたらしいです。 少しでも交代で休んでもらうようにサポートに入ることに。 地域や物品の場所は全く違っても、医療は共通。 そう思いながらも、続々搬送されてくる救急車と 受診を求めて並んでいる1000人以上の患者さんを目の当たりにして正直途方に暮れましたが 目的の「1人でも多くのかたに医療と看護を」のために気持ちを切り替えました。 救急搬送のほうのグループになり 搬送されてくる患者さんも 心筋梗塞や脳梗塞の薬を飲めていないから 再梗塞を起こしていたり 透析患者さんが透析を出来なくてカリウムの数値が上がっていたり心不全を起こしていたり 医療機材が足りていない中、現
本当の被災地のこと (さとみ) 2011-03-28 02:58:41 糸井重里さんのツイッターからきました。 震災の報道を見るたびに胸が締め付けられる思いでいます。 私は要請があれば被災地入りする待機状態の者です。 ニュースでは伝わらない被災地の現状を伝えてくれてありがとうございます。 この記録を読みながら涙を抑えることができませんでした。 いち早く被災地に入り、第一線での看護活動 お疲れ様でした。 災害派遣・復興支援は長期化とともに記憶が薄れてしまいそうで・・・ 多くの方にこの貴重なレポートを知って貰いたいと思いました。 とても読みやすい文章で、優しい素敵なナースのあなたの存在を知ることが出来て 嬉しかったです。 ブログに記録して下さりありがとうございます。 返信する お疲れ様でした。 (うぶすぶ) 2011-03-28 11:37:37 自分もこっそり行って手伝おうかと 思ったことも
陸前高田に降り立ったときの印象はぬかるんだ地面と瓦礫の山。 津波の被害で壊滅的の場所です。 本当に何もなくて 残っている建物も廃墟と化していました。 5階建てマンションの5階にまで泥や船の備品が突き刺さっていて何度も目を疑いました。 何の匂いだろう? 焦げ臭い匂いがつーんと鼻に抜けていきました。 あとすごく静かでした。 報道のヘリや自衛隊のヘリが上空を旋回している音だけが響いている感じ。 雪が瓦礫の山に積もっていて、ずっとしんしんと降っていたけど寒いという感覚よりも恐怖のほうが強かったです。 足が震えていたのは寒さでなく恐怖でだったと思います。 一分間黙祷をしながら もっと早く来るべきだったと思いました。 避難所や病院に行く前に ざっと市内を案内される。 ここは商店街でした、 ここは郵便局だよ、 ここはおいしいラーメン屋、 ここは公民館、 ここは幼稚園、、、 ただの瓦礫の山。 15mくらい
歴史に残るブログ (きょお) 2011-03-28 03:42:10 こちらもそこそこの被害はありますが 現地に比べれば全然ましです。 ましてや現地の状況を細かく伝わるものは無く 生の声は伝わりにくかったのですが 細かな情報を知れるブログとして拝見させて頂いております。 まだまだ大変な状況ですが今後のご活躍とご検討をお祈りいたすと共に一刻も早い復旧を目指すように心がけたいと思います。 返信する 全て読ませていただきました (あい) 2011-03-28 10:05:51 言葉になりません… 私は薬学生です。 私も被害は屋根や塀が崩れる程度しかありませんが被災地にいました。 1の『想像以上に~迷惑や嫌味だからね』 この言葉が心に響きました。 医療従事者はどんなに辛い状況でも泣いてはいけない。本当は泣きたいですが…現地の方を考えたら強く強くならなければいけない。生半端な気持ちでは絶対にボランテ
3月11日 午後2時46分。 東北関東大震災。 被災地の皆様、被災地以外でも様々な影響を受けている皆様、 1日も早く元の生活に向けて復旧しますようお祈り申し上げます。 多くの犠牲者の方々、心よりご冥福をお祈り申し上げます。 今回放置状態だったこちらのブログを一時的にアップしたのは理由があります。 3月15日 私の勤務する病院でも災害対策支援医療チームが発足されました。 救命センターの中から私も被災地に行くことになり、16日から23日までの第一陣のチームで そこで見たものや 感じたこと、どうにもならないこと、 私なりの文章でお伝え出来ればと思います。 決してきれいごとではなくて どんどん増えていく被害状況や泣いている人を見て自分には「今」何が出来るか 何をすべきかあの地震の日からずっと考えていました。 この仕事をしている以上、きっと何か出来るんじゃないかとずっと思っていて オファーが来たとき
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