日立製作所が日本で前例が多くない職務給という給与制度を取り入れて4年が過ぎた。ポストにひもづけて報酬の水準を決めるもので、「ジョブ型」「役割給」とも呼ばれる仕組みだ。日経ビジネス4月22日号の特集「強くなれる給料」でも紹介したように、労働市場での価値を明確にする制度は、グローバルに事業を広げていくうえで欠かせなかった。 4月1日、日立製作所のグループ企業で40代の社長が誕生した。家電メーカーと販促会社が合併して同日発足した日立グローバルライフソリューションズ。年間売上高は5000億円規模でグループの中核企業の一角を占める。社長に就任した谷口潤氏は46歳だ。 年功の色合いが濃かったかつての日立グループでは考えられない若手の登用といえる。谷口氏の直近のポストは日立本体の制御プラットフォーム統括本部情報制御第三本部長。経営の軸として掲げるIoT事業を手掛け、最大級の評価を得たとみられている。 2
「儲け話がある」としてUSBメモリで投資教材を売りつけるトラブルが、首都圏の大学で急増している。トラブルの相談を受けた教育アドバイザーの鳥居りんこ氏は「20歳以上はいわゆる『未成年者取消』ができない。わが子がトラブルに巻き込まれないように、保護者は注意が必要です」と訴える――。 なんのヘンテツもないUSB49万円を購入するまでの一部始終 長い受験期間を終え、子どもが晴れて大学生になった親御さんの中には「ようやく子育ても終了」と安堵されている方もいることだろう。大学生の多くは在学中に成年になるため「子育て終了宣言」が出てもおかしくはない。 しかし、である。 この「若葉マーク成年」が怪しい業者の格好のターゲットになっている事実をご存じだろうか? 筆者は思春期の子どもを持つ親たちから悩みや相談を持ちかけられることが多いが、最近も都内在住の大学生の母親から相談を受けた。 「USBメモリを媒体とする
更地になった川井家住宅跡。市が保存活用に向けてマッチングを行ったが、不成立に終わった(京都市中京区) 室町時代にまで起源をさかのぼれ、専門家が重要文化財級と評価していた京都市内最古級の町家「川井家住宅」(中京区西ノ京)が解体され、消失したことが26日までに分かった。市は京町家保全継承条例を昨年に施行し、マッチング制度などを今年5月から導入して町家解体を防ぐ施策を強化してきたにも関わらず、貴重な町家の消失を止められなかった。 川井家は上京区の北野天満宮に仕えた「西京神人(にしのきょうじにん)」の子孫とされ、中世の文書にも名前が出てくる。同家住宅は木造平屋建てで、洛西から丹波に多い農家型住宅の特徴を持ち、応仁元(1467)年に建てられたとの伝承があった。 京町家に詳しい京都府立大の大場修教授や町家関連の調査によると、正徳年間(1711~16年)に造り替えられた後、文政13(1830)年に増築さ
高学歴ワーキングプアーという言葉はすっかり定着したが、そういった状況にある若手人文系研究者の自殺事件が続いたことにより注目されている。先日、朝日新聞に掲載された記事には、友人であり、一般社団法人カセイケンでご一緒している榎木英介氏のコメントが掲載されていた("「博士漂流」問題、職に対して人募集の仕組みを" ※こちらはデジタル版のみの内容も含んでいる)。榎木氏は日本における研究者のキャリアパス問題で長年活動を続けてきており、近年朝日新聞のような「主要メディア」にも意見を求められるようになったことは、私としても大変ありがたいと思っている。ただ、一方では、朝日新聞でのコメントも基本的に「理工系(特に90年代後半から大量生産されるようになったバイオ系)の研究者」の視点かなと思う面はあり、そこで多少違和感を感じる部分も否定できない。ここで、人文・社会系の研究者にとってのキャリア問題について、少し別の
近代化遺産の活用で先行する台湾 私の著書が台湾で刊行されたのを機に、台湾でプロモーション活動を行なった際、あるイベントにゲストで呼ばれた。場所は台北市の「華山文化産業園区(華山1914文創園区、華山クリエイティブパーク)」。連日のように開かれる講座や優れた空間性が評判を呼んでいる独立書店(大手資本が入っていない書店)の「青鳥書店」が会場だった。実は青鳥書店で講演するのは3度目なのだか、いつも会場は熱心にメモを取る若者で満杯だ。ここでは講座、コンサート、展示が毎日何件も開催され、青鳥書店のようなユニークな書店やおしゃれなショップ、レストランがそろい、知的刺激を求める人々やデートの男女、家族連れでにぎわっている。 青鳥書店で講演する筆者(青島書店提供) 同パークの土地はかつて1914年に建設された日本の酒工場だった。戦後も工場は稼働を続けていたが、移転で一時は荒廃していた。そこに大改装の手が入
白いカーネーションやバラの花で飾られた祭壇中央の柔和な笑顔の遺影が、ジャンルを超えて多くの人びとに慕われた人柄を物語っていた。 古代史に大胆な仮説を打ち立て、「梅原日本学」と呼ばれる独自の学問を確立した、哲学者で国際日本文化研究センター(日文研)の初代所長、梅原猛さんのお別れの会。あいさつに立った日文研所長の小松和彦さんは「先生は知の巨人、学界の風雲児、激情の人、人情の人、妄想の人、京都の妖怪…などさまざまに評されました。そうした評価も面白がっておられ、幅広い学識と人情味あふれる人柄に、多くの人が心ひかれました」と惜しんだ。 哲学者の鷲田清一さんは、梅原さんについて「だれもが認める破格の人でした。群を抜き、誰も追いつけない」と語った。「大胆な推論を次々と打ち出す人でしたが、奥底に潜むのは、悲嘆に暮れる人に安らかさをもたらしたいとの思いがあった」と振り返った。 また、アイヌ研究がきっかけで、
1月12日に93歳で亡くなった哲学者の梅原猛さんのお別れの会が21日、京都市内のホテルで開かれた。親交のあった約500人が知の巨人と呼ばれた梅原さんを悼み、一般からも別れを惜しむ人が多数訪れた。 梅原さんが創設に尽力し、初代所長を務めた国際日本文化研究センター(日文研、京都市西京区)の小松和彦所長は「先生は日文研のまさしく『父』でした。学問をこよなく愛し、徹底的に常識を疑う学者でした。構想力・想像力は学問という枠を超えてあふれ出し、多彩な文芸・創作活動にまで広がっていました。臓器移植や原発など現在の問題に対しても鋭く問題提起し続けた学者でもありました。知の巨人、学界の風雲児、奇人・変人・天才、京都の妖怪などさまざまに評されましたが、そうした評価もまた先生は面白がっていたかに見えました」とあいさつ。 哲学者の鷲田清一さんは「誰もが認めるように破格の人でした。しかし、私たちと一緒にまみれてくだ
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