1976年、幸いにも国際交流基金の日本研究フェローシップを受賞することができた私は、同年9月、日本に旅立ち、京都大学人文科学研究所でその後18カ月を過ごしました。それより以前は、1970年に2カ月、また1972~73年の1年間も東京で過ごしました。ですので、京都での最初の問題は、関西弁に慣れることでした。京都大学の講義やセミナーは当たり前のように関西弁で行われていたからです。当時、英語で書かれた関西弁の学習書はなく、耳で覚えるしかありませんでした。 オックスフォード大学での博士論文のテーマは、尾崎紅葉の小説と江戸時代の文学の関連性でした。そのため、もっぱら文学部と中央図書館の資料を活用し、仕上がった章からタイプで打って博士論文を仕上げようとしていました。ですが、そのうちの1章は、書き直す羽目になりました。新幹線で原稿を入れたブリーフケースを置いたまま、食堂車に行ってしまったのです。戻るとブ
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