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2022年11月16日のブックマーク (4件)

  • ポーランドのミサイル 米大統領 “ロシアからとは考えにくい” | NHK

    ロシア製のミサイルがポーランド領内に落下し、2人が死亡したと伝えられたことについてアメリカバイデン大統領は、事実関係を正確に把握したうえで今後の対応を決めたいという考えを示すとともに、「初期段階の情報ではミサイルはロシアから発射されたとは考えにくい」という見方を示しました。 アメリカバイデン大統領は、G20サミット=主要20か国の首脳会議のためインドネシアのバリ島に滞在しています。 ロシア製のミサイルがポーランド領内に落下し、2人が死亡したと伝えられたことについて、バイデン大統領は日時間の早朝、ポーランドのドゥダ大統領や、NATO=北大西洋条約機構のストルテンベルグ事務総長と相次いで電話会談を行うとともに、G7=主要7か国とNATOの緊急首脳会合に出席しました。 そして日時間の午前11時ころ、記者団に対し「何が起きたのかを正確に究明したうえで次にとるべき対応について決定する」と述べ

    ポーランドのミサイル 米大統領 “ロシアからとは考えにくい” | NHK
    el-condor
    el-condor 2022/11/16
    地理的及び戦況的観点ではロシア領及び占領地域からポーランドにミサイルが飛んでくるとは確かに考え難く、寧ろこれはベラルーシを詰める材料に使われるのではないかなどと思わないでもない。
  • 外交評論家の加瀬英明氏死去 保守派の論客

    保守派の論客として活動した外交評論家、加瀬英明さんが15日、老衰のため死去した。85歳。葬儀は家族葬で行い、後日しのぶ会を開く予定。 東京生まれ。慶応大、エール大、コロンビア大で学ぶ。「ブリタニカ国際大百科事典」編集長を経て、評論活動に入る。外交評論家として豊富な人脈を築き、過去の首相や外相の特別顧問として対外折衝にあたった。 近年は、海外で流布した反日的な情報や言説に反論する活動に尽力。米下院で慰安婦問題をめぐり対日非難決議案が提出された際には、米誌に反論を寄稿。代表を務める団体が、慰安婦に関するパンフレットを作成し、米議員らに送付したこともある。

    外交評論家の加瀬英明氏死去 保守派の論客
    el-condor
    el-condor 2022/11/16
    国際alt-right人脈のような碌でもない繋がりを「豊富な人脈」と言ってしまうとかネトウヨレイシストを「外交評論家」と書くのはalt-right以外のマトモなメディアには不可能で、産経のオンリーワンの価値が輝いている。
  • 先生「ダンゴムシは虫だ」小3娘「エビやカニの仲間で甲殻類です」 優秀ゆえに教師から怒られる理不尽、母が下した決断は|まいどなニュース

    先生「ダンゴムシは虫だ」小3娘「エビやカニの仲間で甲殻類です」 優秀ゆえに教師から怒られる理不尽、母が下した決断は|まいどなニュース
    el-condor
    el-condor 2022/11/16
    これ実はどちらも正しく「虫」の多義性の問題であって、それを説明せずに地位の権威で押し切ったのなら教員が悪い。初等中等教育における合理的な議論の欠如と権威主義はもう少し深刻な問題として扱われても良い。
  • 【深掘り「鎌倉殿の13人」】源頼家の遺児・公暁は将軍候補の1人だったのか(渡邊大門) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、実子のなかった源実朝の後継者問題が焦点となっていた。その候補の1人が公暁だったが、その辺りを詳しく掘り下げてみよう。 ■公暁とは 正治2年(1200)、公暁が源頼家の子として誕生した。源頼朝が没した翌年のことである。 母は賀茂重長の娘だったといわれているが、比企能員の娘(若狭局)、三浦義澄の娘という説もある。公暁の幼名は善哉という。有力御家人の三浦義村が乳父を務めた。 建仁3年(1203)9月、比企能員の乱が勃発した。結果、頼家は将軍の座を追われ、伊豆の修禅寺に幽閉された。 嫡男の一幡は、乱のときに焼死したという(異説もある)。翌年、頼家は殺害され、公暁はただ1人残されたのである。 ■出家した公暁 元久2年(1205)、北条政子の計らいで、公暁は鶴岡八幡宮寺別当の尊暁の弟子となった。建永元年(1206)、公暁は3代将軍の実朝(頼家の弟)の猶子となった。政子

    【深掘り「鎌倉殿の13人」】源頼家の遺児・公暁は将軍候補の1人だったのか(渡邊大門) - エキスパート - Yahoo!ニュース
    el-condor
    el-condor 2022/11/16
    出家が原則として世俗の地位の放棄なのは確かだが、この時代での原則の強さを正確に見積もるのは案外難しい。室町期の還俗頻発との違いは、嫡子以外の出家の頻度とその背景の相続様式の差異が原因かなあ。