もっと精霊の力とか借りるべき
最近思ったんだけど、ワイ別に信者とかではないんだが、イエスキリストまじ神。 ワイみたいなゴミが会社でどんなミスことして、周りに申し訳ない気持ちになっても、 「あ、そうや。イエスの奴が磔になって贖罪してくれてるし、気にせず明日も頑張ろ」ってなるし、 なんか、調子良い時は 「キリスト、自ら助くものを助くって言ってたし、自助努力頑張ろ」 ってなるからイエスキリストはまじ神。 無料で「ごめんなさい」のアウトソースとか「ライザップ」してくれるしもう神サービスだと思う。 今度教会行って、この前ワイのミスで会社が2000万くらい損失被ったからキリストがいつもやってる贖罪に感謝してくるんや。 お前らみたいな無能も、いつも生きててごめんなさいって思ってるかもしれんけど、 キリストが全部代行してくれてるから堂々 と生きて良いんやで。
「会ったこともないお方をどうして信じられるのか」「信じるとはどういう行為か」という記事を連続して書いてみたところ、多くの人から助言や批判を頂いて大変有り難く思っている。信仰のことについて考え続けると、しだいに筆が重くなってしまい、なかなか書けないかもしれない。けれどもある親切な方が私の要求を丁寧に汲みとっていただいて回答記事を書いてくださったので、これに応えたいと思う。 聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。 - カッコつけるのは、もうヤメだ。ダラダラと生存報告。(仮)一言で言えば「信頼できそうだと選択した」 - カッコつけるのは、もうヤメだ。ダラダラと生存報告。(仮)まず、上の2本の記事を読んでありがたかったのは、信じるという言葉を「信用」「信頼」「信仰」などの用語を用いて適切に整理してくださったことである。確かに考えてみれば現実の「信じる」行為はだいたい信用であって、キリ
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