徳川家康の息子たちが興した尾張、紀伊、水戸の徳川御三家は江戸時代、宗家(将軍家)に次ぐ地位を持ち、幕府で権勢を誇った。宗家、御三家は戦後、絶えることなく今も続くが、家康没後400年という節目に、徳川宗家18代当主・徳川恒孝(つねなり)、尾張徳川家22代当主・徳川義崇(よしたか)、紀伊徳川家19代当主・徳川宜子(ことこ)、水戸徳川家15代当主・徳川斉正(なりまさ)という当主4人が集い、教科書に載らない“三つ葉葵の真実”を語りあった。 水戸:うちは、尾張様(尾張徳川家)から36年遅れて財団化して、10年後に博物館を建てました。13代の祖父・圀順(くにゆき)の代です。祖父は、大正時代にお金がなくなってきて、持っている品々を売る「売り立て」をしています。そのときに祖父は、今では国宝になっている曜変天目(ようへんてんもく)茶碗など、良いものからどんどん売っていった。父がなぜそんなことをするのか祖父に