震災の記憶、立体画像で後世に=解体前にデータ保存−東北大、東大 震災の記憶、立体画像で後世に=解体前にデータ保存−東北大、東大 東日本大震災から2年3カ月が経過し、被災した土地の再建が進む中、津波にのまれて大破した建物などを解体前に3次元(3D)データ化し、保存する動きが始まっている。震災の記憶を後世に残そうという取り組みで、東北大や東京大が測量などの作業を進めている。 測量は対象物にレーザー光線を当て、形状を正確に計測して3Dデータを取得する。カンボジアのアンコールワット遺跡でも活用された方法だ。東北大学総合学術博物館(仙台市)はこれまで、骨組みだけになった宮城県南三陸町の防災対策庁舎や、陸に打ち上げられた気仙沼市の漁船「第十八共徳丸」などを測量した。 パソコンとつないだ特殊な眼鏡をかければ、データを基にした3D画像がディスプレーを通じて眼前に広がる。実際に歩いたり、コントローラーで
石巻・鹿島御児神社本殿、近く取り壊し 震災で損壊 解体を決めた本殿の被災状況を説明する窪木宮司 宮城県石巻市の日和山にある鹿島御児神社の本殿が近く取り壊される。高台のため東日本大震災の津波被害は免れたが、歴史ある建物は揺れで激しく損壊した。氏子の大半が被災したことから建設費の工面が難航し、再建のめどは立っていない。 神社の創建時期は不明だが、平安時代の書物にも記録が残る。大漁祈願や学業成就などの御利益があるとされ、多くの住民に親しまれていた。現在の本殿は築約300年の木造で、ご神体を祭っていた。 これまでも本殿は修理を重ねてきたが、震災の揺れで基礎のコンクリートが割れ、西側に傾いた。建物を取り囲む瑞垣(みずがき)もほぼ倒壊し、大規模半壊と判定された。 被災した市内を一望できる日和山公園は連日、多くの観光客らが訪れている。神社に足を向ける見学者もいるが、本殿は拝殿の裏にあるため被害に気
「津波桜」を地蔵に再生 女川の住民ら制作中、来年3月開眼 子どもから大人までが親しんでいた2本のソメイヨシノ。切り株が地蔵に生まれ変わる 活用を検討している桜の幹を手にする藤中さん 宮城県女川町中心部で東日本大震災の津波に耐え、一度は花を咲かせながら枯れた桜を使い、住民グループ「女川桜守りの会」が地蔵の制作を進めている。安置する地蔵堂も整備し、震災発生から丸3年となる来年3月11日に開眼法要を開くことを目指している。 桜は授産施設の庭にあった2本のソメイヨシノ。津波で幹が半分に折れたが、1カ月半後に残った枝に3輪の花が咲き、住民を驚かせた。 かつては小学校分校の校庭や保育所の園庭だった場所で、守りの会事務局の藤中郁生さん(65)は「長年、子どもたちを見守ってきた」と言う。 住民にも親しまれた桜は「津波桜」と呼ばれ、守りの会などが保全活動に乗り出したが、海水に漬かった影響で昨年春に枯死
池上彰さんと、桑子敏雄・東工大リベラルアーツセンター長の日経ビジネスオンラインでの対談が興味深いです。 桑子さんは、『社会的合意形成』という授業を持っているリベラルアーツセンター長の桑子敏雄先生です。 桑子先生は、東工大で『社会的合意形成』という授業を持っていて、日本の各地で住民参加型の社会つくりを実践されています。実践型の哲学者といったところでしょうか。 桑子研究室 環境の哲学―日本の思想を現代に活かす (講談社学術文庫)posted with ヨメレバ桑子 敏雄 講談社 1999-12 AmazonKindle楽天ブックス7net 池上さんとの対談の「第4回 困ったら神社を探せ」に神社それもスサノオ系の神社がある場所は、水害に合わないという話がありました。 桑子:震災の後、私は、研究室の学生と東北に行き、被災地の神社を巡りました。そして、祭神、祀られている神様によって被災状況はどう違う
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東日本大震災の爪痕を表す「震災遺構」は、保存すべきか、撤去すべきか――。朝日新聞デジタルで19日、「話そう!震災遺構」をテーマに公開ディベートを行った。 「話そう、震災遺構」特集ページFBページ「オルタナティブニッポン」 午後9時まで約2時間にわたり、東日本大震災の被災地に住む方々や作家の乙武洋匡さんらが震災直後から被災地を取材してきた朝日新聞記者らと意見を交換した。議論の様子は特集ページでインターネット中継した。 特集ページ(http://www.asahi.com/shinsai_fukkou/ikou/)やフェイスブックの「オルタナティブニッポン」(http://www.facebook.com/Anippon2013)では13日から意見を募集。「震災遺構群にすべきだ」「未来を向いたモニュメントにして」といった提案があった。 特集ページには、誰でも意見を表明できる特設マップを設
長い目で見た時、もともと過疎化が続いていた東北の被災地では、文化財を守っていくことは、生命財産を守るの準じて重要視していく必要があると思います。 というのも、たとえ、こぎれいな場所になっても、文化と歴史がすっかり消えて「故郷」らしさが見いだせなくなれば、若い世代が戻ってくる理由がなくなるからです。 阪神大震災では、神戸というのは新しい町ではなく、ずっと昔からの歴史があることが、震災後の復興に伴う文化財調査によって、住民に知られ、より誇りをもてる町として蘇ったそうです。 読売新聞できょう(2013年3月20日)「被災した文化財の今」を追うルポ連載がはじまりました。(ネットは、読売プレミアムのみ) 以下、1回目の概略です。ただでさえ人間が戻れない状態ですから、福島の20キロ圏内は大変ですね。 記事によって、大変さはわかったのですが、気になるのは、放射能の汚染との「戦い」についてあんまり触れられ
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