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2013年4月23日のブックマーク (5件)

  • 崩壊するスウェーデンの学校制度(上) 教育が差別と分断を招くのか~北欧・福祉社会の光と影(8) | JBpress (ジェイビープレス)

    スウェーデンの学校が崩壊の危機に立っている。国の教育制度が前例のない批判の嵐を受けている。国際的な比較においても、スウェーデン生徒の学力の低下は著しい。 3月の終わりに、「学校の運営と管理責任を地方自治体から国家管理へ戻すことを要求する請願書」が提出され、それに続いて全国紙ダーゲンス・ニーへテルが「教員の月給を1万クローナ(約15万円)引き上げよ」と題する記事を掲載した。この記事は4月21日現在、9000人近くがフェイスブックの「いいね!」で共有している*1。 これらをきっかけに、4月以降、学校制度に対する疑問と批判が噴出している。 と言っても、学校の問題は今急に始まったわけではない。以前にも書いたが、まず教師の離職率が高い。筆者が勤めるヨーテボリの高校でも、校長をはじめ頻繁に先生が代わるので、私自身、半数かそれ以上の先生はもう名前すら分からない。というより、覚える気力を失った。 校長です

    崩壊するスウェーデンの学校制度(上) 教育が差別と分断を招くのか~北欧・福祉社会の光と影(8) | JBpress (ジェイビープレス)
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    emiyosiki
    emiyosiki 2013/04/23
    寄付
  • 湖底に謎の巨大構造物、数千年前の古代遺跡か イスラエル

    (CNN) イスラエルにあるガリラヤ湖の底に、正体不明の巨大構造物が沈んでいるのが見つかった。直径はボーイング747型のジャンボジェット以上。研究チームが建造された年代や目的などについて調べている。 構造物は2003年に音波探査機を使った湖底調査で偶然発見され、研究チームが最近になってその存在を明らかにした。玄武岩を円錐形に積み上げた構造になっており、土台部分は70メートル、高さ10メートル、重さは推定6万トン。英ストーンヘンジの巨石建造物の2倍の大きさがあるという。 建造された年代の特定は難航しているが、土台部分に2~3メートルの砂が堆積していることから推計すると、2000~1万2000年前に建造されたと見られるという。 潜水調査などを実施して構造物を調べたテルアビブ大学の地球物理学者は、大きさと場所から判断すると、一種の養魚場として建設されたのではないかと指摘する。一方、考古学研究者は

    湖底に謎の巨大構造物、数千年前の古代遺跡か イスラエル
  • 弥生人の「いつ変わるの?今でしょ!」の決断。銅鐸をリサイクルして槍を作った理由とは - 歴史ニュースウォーカー

    弥生時代から古墳時代へと移り変わる境目というのは、「卑弥呼」「邪馬台国」の登場。そして文字通り「古墳」の登場、ということになっています。 でも、古墳というのは、ぶっちゃけ弥生時代後半からすでにあります。 弥生時代の「古墳」(あえて分けて「弥生墳丘墓」と呼んでいる)がどんどん大きくなって、「箸墓古墳」(「卑弥呼の墓」箸墓の被葬者はエクスタシーを感じながらトランスするちょっとあれな姫だった)の前方後円墳ができたことをもって、のちの学者たちが「これをもって古墳時代」と線引きしたのです。 卑弥呼も、そのあとの男王も、松伊代(イヨ)も、別に「うちらから古墳時代だぜぇ」と思っていたわけではありません。 じゃあ、なにが起きたのか?というと、 大宗教改革があったのです。 キリスト教からイスラム教へと改宗するくらいの勢いでの変化です。 ではどんなことがあったでしょうか? 具体的には、銅鐸という鐘を使ってい

    弥生人の「いつ変わるの?今でしょ!」の決断。銅鐸をリサイクルして槍を作った理由とは - 歴史ニュースウォーカー
    emiyosiki
    emiyosiki 2013/04/23
    弥生人の「いつ変わるの?今でしょ!」の決断。銅鐸をリサイクルして槍を作った理由とは
  • 日本一の出世頭・明智光秀に学ぶ究極のライフハック術 - 無限の地平はみな底辺

    あえて秀吉を例に挙げない。 織田軍団の出世レースでは、 羽柴秀吉 明智光秀 滝川一益 丹羽長秀 堀秀政 あたりが、トップ集団と云われるが、 織田家中で最初に城持ち大名に抜擢された点、 佐久間信盛の後任として畿内を任された点 徳川家の筆頭家老・酒井忠次が饗応係を勤めた接待の答礼宴会の責任者に指名された点 の3点を以て、底辺は明智光秀を織田家中の出世頭と認識している。 能寺直前には秀吉に信認度で抜かれたとされているが、そう感じた瞬間に主君の殺害に成功しているのでセーフ。 まあ、そんな事はどうでもいい。 誰が出世レースのトップであったかの論議は旨ではない。 底辺の言いたかった事は、 明智光秀は流人の状態から、巧妙に織田家に入り込み信長の信任を勝ち取り、 露骨な美濃閥を形成した上に勝手に明智軍法を定め、 (私兵内私兵である) こうして後世に名を残している云う事実だ。 (しかも、朝倉家・足利家と

    日本一の出世頭・明智光秀に学ぶ究極のライフハック術 - 無限の地平はみな底辺