エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
落橋事件、そして親日国パラオ・日本友好の橋へ署名サイト ACTIONなう!
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
落橋事件、そして親日国パラオ・日本友好の橋へ署名サイト ACTIONなう!
パラオは、アメリカ統治時代の1977年、旧首都コロール島と現首都のあるバベルダオブ島を結ぶKBブ... パラオは、アメリカ統治時代の1977年、旧首都コロール島と現首都のあるバベルダオブ島を結ぶKBブリッジ(コロール・バベルダオブ橋)を建設します。 建設を担当したのは、米国系の建設会社でした。 橋はコロール島から空港(バベルダオブ島)へと向かう唯一の道路であり、バベルダオブ島からコロールへ供給されていた電気、水道、電話などのライフラインも通っていました。 ところが1996年に落橋してしまったのです。 首都機能は麻痺、パラオは国家非常事態宣言まで発令した、とされています。 パラオの国を救ったのは日本でした。 ※旧KBブリッジ 日本・パラオ友好の橋、2002年に完成 日本のODA(政府開発援助)で、1998年から橋の再建工事に着手、施工は鹿島建設が担当、2002年、みごとに完成しました。 橋長400m余の新橋建設事業費は3000万ドル(ウィキペディア)。1998年に行ったとされる詳細設計費だけ