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孔子の四絶(孔子が自己に強く戒めた主観への陥穽) - 「論語」講座
「論語」子罕編の第四条、「子絶四、毋意、毋必、毋固、毋我」とある。「子は四を絶つ。意なる毋かれ、... 「論語」子罕編の第四条、「子絶四、毋意、毋必、毋固、毋我」とある。「子は四を絶つ。意なる毋かれ、必なる毋かれ、固なる毋かれ、我なる毋かれ」と加地伸行が訓読する。それに対し、金谷治「四を絶つ。意なく、必なく、固なく、我なし」と訓じている。これは、孔子が自ら吐いた言葉ではない。無論、四つの絶つべきことを意、必、固、我と指導したことは事実である。間接話法なので、ここは金谷治の訓読が大正解。孔子の直接の言葉だと、「毋かれ」と命令文で読みたくなる。しかし、ここは孔子が自己への戒めとする四絶である。誰でも、意、必、固、我というように、自分の意図、必然、固執、我見にこだわりたいものである。 中国仏教学でも、特に禅学では、孔子の四絶という自戒には評価が高い。仏教学にも影響を及ぼした。朱子も、意に起こり、必に遂げ、固に留まり、我に成ると「四絶」を単なる羅列ではなく、我欲から生じる一連の悪弊とみる。「論語」は
2014/02/21 リンク