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江戸文化再考: 忘却散人ブログ
中野先生の議論に、思想史側から反応がないのには別の要因がある印象を持っています。先生が依拠なさっ... 中野先生の議論に、思想史側から反応がないのには別の要因がある印象を持っています。先生が依拠なさっている島田虔次の陽明学解釈が多くの批判を受けて、もはや「過去」の説になっているのが、おそらく決定的です(60年以上前の説ですから…)。島田説の問題点と学説史上の位置については、溝口雄三等『中国という視座』(平凡社、1995年)と伊東貴之『思想としての中国近世』(東京大学出版会、2005年)に詳論されています。さしでがましいとは思いつつも、思想史研究・文学研究の認識の溝を埋めたく、「沈黙」を破ってコメントさせて頂いた次第です。草々。 高山さん、ありがとうございました。コメント欄でこんなに勉強させてもらえるとは、本当にありがたいことです。伊東貴之氏の論は、溝口先生(一度、集中講義の授業に出たことがあります。公私の話でした)に立脚しながら、中国近世の儒学史を「礼教」化ということで捉えているという理解で