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我に囚われた我々に赦しはあるのか III - 蒸散する物語
雑記 | 19:16 | ここまで、ぼくらは罪と赦しについて、神を出発点として考えてきました。我を捨て神との... 雑記 | 19:16 | ここまで、ぼくらは罪と赦しについて、神を出発点として考えてきました。我を捨て神との合一に立ち帰るのか*1、それとも我に固執して存在しない神を告発し続けるのか。けれども、それはどちらも、結局のところ鏡に映った自分の姿に過ぎません。どちらが本質ということもなく、それは互いに向き合ったまま口を開き、音もなく何かを叫んでいるだけです。ぼくらの生きるこの日常は、そのような極限的な形を取るわけではないし、また取らなければならないわけでもない。以前、ぼくがブログに書いた、神学を学んでいて気づいてしまった恐ろしいことというのは、実は恐ろしくも何ともない、極自然で、もしかしたら愛すべきでさえあることでした。ぼくは、存在しないにも関わらず、あるいはそれ故、ぼくから大切なものを奪った(わけですらない)存在しない神を憎んでいました。そうして、神を信じる人間もまた、ぼくにとってすれば敵でし
2009/02/14 リンク