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どの現実を選ばされるか? - 腐フェミニスト記-801 Feminist Diary-
3.11以来、現実はより各自の判断で選ばされるものになった。 もともと、自分の価値観や感情などが容易に... 3.11以来、現実はより各自の判断で選ばされるものになった。 もともと、自分の価値観や感情などが容易に人にのっとられるわたしには厳しいことだ。 実家に住まうとき、現実は我が父の強固な傘の下で守られていた。友達、教師、道行く人、バイト先の人、仕事場の上司、塾の講師、それらと絡み合うそれぞれの現実。わたしは、すぐ目の前のリアルに乗り移られ、価値観も感情も何もかも失う。その現実に即した人間になることが最もすばらしいことであると心から思う。そうなろうと決意する。 帰宅し、我が父がくつろぐパソコンに囲まれは部屋で数回言葉を交わす。付着した現実ははがれ、浮きだった心は胃のしたまでとぽんと落ちる。 けれども、その父の傘の下から離れ、ツレと二人で暮らすということは、もう、父の現実には頼れないということだ。 家をでるタクシーの中、美しい春の白い光の中、永遠に別れる「父の現実」が愛おしかった。あの現実はわたし
2011/04/28 リンク