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思考を扱う対象は広すぎず、狭すぎず、がポイント
理想の未来やゴールといった イメージを膨らませていくときには その対象が抽象的すぎると その臨場感に... 理想の未来やゴールといった イメージを膨らませていくときには その対象が抽象的すぎると その臨場感に手触りを感じられにくいところがあります。 思考の対象が壮大になっていくほど 可能性は広がるように感じられる一方で どこに焦点を絞っていけば良いのか、が ぼやけてしまい途方に暮れてしまう。 逆に現実路線で焦点を絞りすぎると 小さくまとまってしまうように 感じられるところがありますよね。 「一番良いのは、対象を十か十二くらいの小さな個々の詩に分けて描くことだろう」(ゲーテ) 詩人のゲーテの言葉にもあるように とりあえず壮大なテーマで思考を巡らせるのではなく 個々に分けてみることから その繋がりを紡ぎ出していくことから そこに手触りを持たせていくことが 抽象的な作品にも手触りを持たせられるものだと 感じさせられるところがあります。 大きな視点(マクロ)を持ちながらも 小さな視点(ミクロ)に切り替え