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日常的抵抗論 第2章 原初的紐帯と想像の共同体 - Garege Sale
epub PDFで読めます 1.差異の連続体と「原初的紐帯」 前章で、文化の異種混淆性に注目するときに重要... epub PDFで読めます 1.差異の連続体と「原初的紐帯」 前章で、文化の異種混淆性に注目するときに重要なのは「境界や起源に先行する異種混淆性」という視点だと述べたが、そのような異種混淆性が具体的にどのようなことなのかを、「民族」というまとまりを例にして説明してみよう。 「民族」というものを客観的属性によって規定される実体としてとらえる本質主義と、民族的アイデンティティを状況や利害に応じて創りだされる虚構としてとらえる反本質主義(構築主義)という2つの立場のうち、現在では構築主義の方が優勢だといえるだろう。けれども同時に、文化人類学者の多くは、民族を単なる虚構だと断ずることに躊躇しているようにみえる(たとえば、人類学者が集まって民族とは何かということで討議をした川田/福井編『民族とは何か』[川田/福井 1988]の総合討議を参照)。たしかに民族という単位は作られた虚構かもしれないが、その
2011/12/24 リンク