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成長では無くて、思い出す過程なのです。 - 伊勢ー白山 道
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成長では無くて、思い出す過程なのです。 - 伊勢ー白山 道
人の赤子を見ていますと、年を追うごとに肉体が大きく変化していきますから、誰もが人間というものは、 ... 人の赤子を見ていますと、年を追うごとに肉体が大きく変化していきますから、誰もが人間というものは、 * 段々と「成長」する存在。 * 時間は、一方通行の流れの向きしか無い。時間は、前後しない。 と思い込んで暮らしています。 問題は、人の心も、年を経ると肉体と同様に「成長するもの」と思い込んでいることです。 なぜなら、肉体が取る時の「流れ」を見ている為に、心も同様だと信じ込んでいます。 果たして、人の心も成長するものなのでしょうか? ここで逆の視点を考えて見ます。 成長というものを10段階で考えて見ましょう。 肉体は、最初の1段目(誕生)から、2、3・・・・10段目(老衰)。 という一方向の「流れ」が見られます。 肉体的な外見も明らかに変化が見られます。 だから心も、幼い1段目から2,3・・・・と成長して10段目の老成した境地に? あれ? 肉体が衰えましても、心は逆に幼児帰りをしていたり、肉体