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三条夫人(武田信玄の正室)は本当に高慢ちきな公家の姫だったのか?
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三条夫人(武田信玄の正室)は本当に高慢ちきな公家の姫だったのか?
軍神・上杉謙信と信濃の覇をめぐって合戦を繰り返し、ついには織田・徳川との対決のため軍を西へと進め... 軍神・上杉謙信と信濃の覇をめぐって合戦を繰り返し、ついには織田・徳川との対決のため軍を西へと進めた、戦国の英雄・武田信玄。 「甲斐の虎」と呼ばれたその手腕のみならず、周囲を固める親類衆や家臣たちの名も現代に伝わっておりますが、この武田一族・軍団について語られるとき、どうしても腑に落ちないことがあります。 信玄の正室・三条夫人についての描写です。 公家の名門出ということを鼻にかけ、高慢ちきで嫉妬深い悪妻――。 こうした描き方は果たして本当なのか? 一般に、戦国時代の公家というと、マイナスイメージを伴って描写される傾向にあります。 格式や先例にばかりしがみつき、大名達に寄りかかることでしか生きていけない、旧勢力の象徴と申しましょうか。 公家の姫である信玄正妻・三条夫人の否定的な描かれ方も、こういった傾向が間接的に影響していると思われます。しかし……。 当時の公家は、決して一方的に戦国大名に依存