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大姫(頼朝と政子の娘)は実際どんな生涯だった?特に婚約破談後は?
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大姫(頼朝と政子の娘)は実際どんな生涯だった?特に婚約破談後は?
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第24回放送で、若くして落命してしまった頼朝と政子の娘・大姫。 建久8年(1... 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第24回放送で、若くして落命してしまった頼朝と政子の娘・大姫。 建久8年(1197年)7月14日はその命日です。 字面からして体格の良い女性をイメージするかもしれませんが、この「大姫」というのは「エライ人の長女」くらいの意味で、本名はわかっていません。 当時は「いいとこのお嬢様は本名を名乗らないもの」とされていたためで、例えば源氏物語にも「大君」という人がいたりします。 逆に、実名らしきものがわかっている女性は、元々の身分がさほど高いわけではなかったと言えますね。 いずれにせよ彼女は、ドラマだけでなく史実においても、決して幸せな一生ではなかったでしょう。 両親(主に源頼朝)によって、悲しいことばかり味わったからです。 ※以下は源頼朝と北条政子の考察記事となります