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公家の生活は?
>政治の主導権が公家、貴族から武士に移ってから とdekkiさんは書かれていますが、それはいつごろだとお... >政治の主導権が公家、貴族から武士に移ってから とdekkiさんは書かれていますが、それはいつごろだとお思いでしょうか。 荘園制度という言葉は聞いたことがあると思いますが、これが崩れたのは いつごろだと考えますか? 実は、いわゆる鎌倉幕府というのは「武士」に対してだけの政治権力です。 で、日本のほとんどは荘園あるいは国衙領という形で京都の天皇家や公家 に対して税を払う立場でした。政治というのはある意味で税の分配機能で すから、公家にも政治があったわけで、公武二重政治体制ともいえます。 後醍醐天皇の「建武の新政」もそのおおもとは、二つに分かれた天皇家系 のうちどちらがどのように天皇家領と天皇位を受け継ぐかというのが原因 です。これに、御家人の間の北条氏独裁に対する不満がからまって南北朝 騒乱がおこりました。これも公武二重体制の現われですし、後醍醐天皇の 皇子である護良親王は足利氏に対抗するた