エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
連続体仮説の扱いは 《非知》ですか? (大澤真幸説への批判です)
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
連続体仮説の扱いは 《非知》ですか? (大澤真幸説への批判です)
1. 次の結論は 《知り得るか知り得ないかが知り得ない非知なるナゾ》 のことだと理解してよいのです... 1. 次の結論は 《知り得るか知り得ないかが知り得ない非知なるナゾ》 のことだと理解してよいのですか? ▲ (ヰキぺ:連続体仮説) ~~~~ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E7%B6%9A … 現在の数学で用いられる標準的な枠組みのもとでは 「連続体仮説は証明も反証もできない命題である」 ということが明確に証明されている。 ~~~~~~~~~~ 2. これは 大澤の次の議論をめぐって知りたいという事情です。 ▼ (大澤真幸:超越的な聖は 連続体仮説に対応する!?) ~~~ われわれは 宗教の基層には 二つの体験がある と述べておいた。 〈他者〉への不可避的な関与の体験と 超越的な「聖」をめぐる体験で ある。 集合論との対比をさらに進めれば 前者が対角線論法に 後者が連続体 仮説に それぞれ対応していると解釈することが許されるだろう。 (『現