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手のかからないものたちについての覚書|疲労が溜まると抽象的になりがち - 珈琲三杯|思索のための思索
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手のかからないものたちについての覚書|疲労が溜まると抽象的になりがち - 珈琲三杯|思索のための思索
時間はいつから流れているの 時間とはよく出来たものである。私がわざわざ手を加えて流してやらなくても... 時間はいつから流れているの 時間とはよく出来たものである。私がわざわざ手を加えて流してやらなくても、勝手に流れていくのだから。いつも気づいたら夜になっていて、夜が流れて朝に替わり、朝が流れて昼に替わり、昼が流れてまた夜に替わる。私が手を加えなくても。トイレの水もレバーさえ捻れば勝手に流れるし、そうめん流しも茹でた麺を高い位置に置いてさえやれば勝手に流れていくのだが、時間にはそうやってレバーを捻ったり麺を置くような手間すら必要ないのだ。すげー。どんどん流れていく。 手のかからないいい子たちです 忙しない現代において、手のかからないものは良いものだ。前述のとおり時間は手を加えずとも流れていくし、空間だってそうだ。我々がわざわざ手を加えなくともそこにある。宇宙……は空間と実質同義だが、まあ宇宙も別枠で手がかからないということにしておこう。存在や概念も本来は手がかからない、我々には手の加えようのな