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養徳院の乳飲み子・織田信長
有名な話ですが、織田信長は赤ちゃんの頃からカンが強く、直ぐに乳母の乳首をかみ切ってしまっていたと... 有名な話ですが、織田信長は赤ちゃんの頃からカンが強く、直ぐに乳母の乳首をかみ切ってしまっていたと言います。 しかし、信長は、唯一、養徳院だけは乳首をかまず、美味しそうに乳を飲みました。 このため、信長と、養徳院の実子・池田信輝とは、乳兄弟として、幼き頃から仲良く遊んで養徳院のもとで成長しました。 これにより、養徳院は、「大御乳(おおおち)さま」と呼ばれ、実子・池田信輝(恒興)は知行を与えられ大名に取り立てられるなど、一族繁栄につながっていきます。 そして、さらに、養徳院が、手塩にかけて育てた孫・池田輝政は、関ヶ原の戦いでの功績が認められ、播磨・姫路52万石の大大名へと大出世を遂げました。 ★養徳院が織田信長の乳母となった経緯 備前岡山藩の池田家の家紋が蝶なのは、池田信輝の母が信長の乳母であり、織田家につくした功績によって与えられたものです。 この乳母は、後日、夫が亡くなった後、出家して養徳