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Le Paradis - 『同性愛と生存の美学』 ミシェル・フーコー
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Le Paradis - 『同性愛と生存の美学』 ミシェル・フーコー
最初にこの本を読んだとき、「強姦のような一部の性行為は、男と女に関わるものであれ、二人の男に関わ... 最初にこの本を読んだとき、「強姦のような一部の性行為は、男と女に関わるものであれ、二人の男に関わるものであれ、許されないからです」というはっきりとした断定形の表現に、わたしは少し驚いた。何かを禁止する断定形の文章は、現代哲学の世界ではあまり目にすることはない、と思っていたから。いまのわたしなら、強姦は性行為の一種ではなく、暴力の一種だ、と言いたくなるのだけれど。 それでも、強姦の禁止を明確に断言する姿勢を、わたしは気に入っている。 「われわれが、絶対の自由、性行為の一種の完全な自由を目標として持つべきだとは思いません。しかしながら、性の選択の自由が脅かされている所では、われわれは妥協してはならないのです」 つまり、ここでフーコーが語っている「性の選択の自由」とは、何をしてもいい、ということではない。無意味な差別に対する決別だ。 * この本の第一部は、1981年からフーコーの死の直前、198