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マグナウラの裏 ニケフォロス・フォカスと海軍
10世紀は東地中海情勢が大きく変動した時代でした。アッバース朝の求心力が低下し、地方に様々なムスリ... 10世紀は東地中海情勢が大きく変動した時代でした。アッバース朝の求心力が低下し、地方に様々なムスリム政権が割拠する中、ビザンツ帝国の領土は大きく東へと伸長します。その中にはアンティオキアやエデッサなど、のちの十字軍の舞台となる地域も多く含まれていました。またその中でビザンツ軍の在り方や境域防衛のシステムも大きく変化したとされており、まさに後の十字軍時代の前提条件が形成された時期だと言えるかもしれません。 (*1) さて、そのビザンツの軍事的伸長の中で最も大きな役割を果たした皇帝の一人が、「サラセン人の蒼ざめた死」として有名なニケフォロス・フォカスです。カッパドキアの軍事貴族フォカス家に生まれた彼は、マケドニア朝の皇帝の庇護のもと軍歴を積み、テマ・アナトリコン長官を経てドメスティコス・トン・スコロン(総司令官)の地位にのぼります。そして当時ビザンツの東方境域を度々侵犯していたアレッポのハムダ